2009年2月の日記:[以前の日記]
 
 
2月27日(金)
 
 
冀州の動乱(孫氏からみた三国志51)
↑もともとここに地図入れてなかったんだけど、次の回を書く段階で地図入れないと自分でも少々、混乱してきたので、入れてみた。
…とは行っても長安や魯陽は入ってないので(魯陽は入るから後で入れるかね)、完全ではないが。
あと公孫[王賛]ってどこに居るのかはっきりとわからないな。

次は朱儁小説と決まっているし、他にもやることがあるし、「孫氏からみた三国志52」を仕上げたら、執筆に移っていこうかな。

最近、頭が東洋史から離れているんで、
三国志ニュースで最低一回は論文を紹介したい。
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2月20日(金)
 
 
小説とは関係ないが、有り難いことに三国志に関係するお誘いを受ける。
今はそれが何か具体的には言えないだろうけど、意外と時間を取られることが判明。
それ自体はあまり時間を取られないだろうけど、ルーチンワーク的な前作業がすごく時間がかかる。今の生活に支障がでないペースで行くと三ヶ月と一週間でその前作業が完了する。
私から言い出したテーマでその前作業が発生したわけで、自業自得みたいなものだから、ここは確実に作業をこなしていきたいところ。
Perlあたりのプログラムでやればもっと効率化できるだろうけど、そんな能力ないし、開発するよりは今の手作業の方がきっと早いわけで。
まぁ、今の手作業でもなるべき効率化していこう。あとそればかりだと気分がまいってしまうので、別の作業も並行してやっていこう。
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2月1日(日)
 
 
そういえば、昨年末に書いた孫堅小説で初平初の[六/兄]州刺史の劉岱が東郡太守の橋瑁を殺したことや劉虞が天子に担がれそうになったことに触れられていないな(汗)

これらを踏まえ、こりゃ八月は朱儁小説を仕上げることになりそうだな。
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