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京師奪還
2008.07.27.
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   どこにも掲載予定のない書きかけの三国志小説を公に晒し作者のモチベーションを高めるページです。原稿用紙9枚分。続きを掲載する予定はありません


   年が変わり、時を同じく年号も改まり、一ヶ月余りたった初平元年二月四日のことだった。
   南面に壁など遮るものがない堂へ、暖かくなり始めた東寄りの陽光が差し込んでいる。
   照らされた堂の上には、西に年五十近くの男、東に年四十前後の男の二人が居る。席と呼ばれる敷物の上に膝を着きそれぞれ座っている。介や僎と呼ばれる付き添いは一人も居らず、男二人が向き合っている。両者とも官吏らしくゆったりと大きい青袍を纏い、さらに冠は頭を覆う黒い幘を被りその上に二本の梁が張り出す進賢冠と同じである。しかし、腰の紳(おび)から垂らし膝の上に置く綬は西の男が黒色、東の男は青色と両者で異なり、それは東の官吏の位階が上であることを示していた。
   西の男が淡々と話すと、東の男は見る見るうちに顔を紅潮させる。
「今、誰が殺されたとおっしゃりましたか」
   顔の熱気をそのまま西に向けて吐き出した。西の男はその挙動を予め知っていたように皺一つ動かさない。
「昨日、弘農王が毒により殺害された」
   西からの言に東の官吏は表情を凍らせる。弘農王とは皇帝と先祖を同じくし、その名の通り弘農国の王であるが、他の国王と大きく異なる点がある。それは今上皇帝の兄であり、昨年の九月まで先代の皇帝だったということだ。
「一体、誰がそんな大逆を犯したのですか」
   ようやく我に返った東の者は聞き返した。眉間に深い溝を見せる。
「問題は誰が手を下したかではなく誰がそう仕向けたかだ。それは吾の口から言わずともわかるだろう」
   西の男の力無い応えに東の男は視線を上に外し考えを巡らす。大して間も空けず男の心において特定の男の姓名が明確に浮かびあがる。その姓名は董卓、字は仲穎だ。臣下の頂点に位置する相国に就いている。それは董仲穎の能力や功績に寄るものではなく、権力闘争の果てに因るものだった。そうやって他者を排し生き残ったという傲慢さのまま、自らの権力を行使し故(もと)の人主を亡き者にしたのだろうか。
「しかし、そんな非道を成し、何の利点があると言うのですか」
   東の問い掛けに西は即座に答える。
「利点はないだろう。しかしながら、必要に迫られていると感じたのだろう」
「董公に人殺しをするほどの必要性など何があるというのですか」
   西側での淡々とした態度に対し、東側では声を荒くするほど感情を高ぶらせている。
   西に座する男は東に座する男へ右の一つの指先を腕ごと大きく向ける。突然のその行動に東の男は呆然とする。しかし、男は自身が指さされているのではなく、指先が自身の背後に広がる東へ向けられていることに気付く。
   ここから東に何があるのか男は思いを広げる。二人が座す所は皇帝が居する京師である雒陽の中であり、そこを中心とした一帯は董仲穎の強烈な権力により安全は保障されている。しかし、一度、雒陽周辺を守る轘轅関や旋門関から南か東へ出れば、あるいは雒陽の北側を西から東へ流れる河水を孟津を通じ渡り越え北東へ出れば、危険が待ち受けている。というのも、董仲穎を除こうと幾人の臣下らが雒陽より東側で軍兵を挙げていたからだ。軍を率いる臣下らにとって敵は董仲穎一人であろうが、関から東や南へ出た者や河水を渡り北東へ出た者は董仲穎の配下と見なされ、害を被る可能性があるだろう。
「あっ」
   思考し続ける東の男は思わず声を漏らした。
「関東の諸将は董公を討とうとするが、それ故に天子である皇帝の居する京師へ攻め上がらなければならない。つまり関東の諸将は天子に刃向かう逆賊呼ばわりを免れない。そのため、先の天子である弘農王を担ぎ出し天子に据え、諸将自らの正当性を主張しようとする…少なくとも董公はそのように恐れ心配の種を取り除いたのだろう」
   まるで東の男が気付いたことを代弁をするかのように西の男は語った。
「そんなことで…」
   東の男は目を上へ逸らし再び顔を紅潮させ、言葉を失った。
「卿と違い、吾は董公と同じ陣営に居たことがある。董公は事を起こす前において周到で、事に当たっては大胆だ。董公から危険と判断されれば吾らとて何時、命を落とすかわからない。そのため、これから先、自らの身の安全を第一とし行動してもらいたい。命さえあればこの状況を打破できる好機が訪れるはずだ…吾はそれを言いたいが為に今日、卿の元へ来た」
   西にある顔に憂慮の感情がはっきりと浮かんでいた。本来ならばすぐにでも喪に服すところだが、董仲穎の意を逆撫でしないためにそれもできない、と東の男は幾ばくか歯ぎしりする。頭を振り、深く息を吸い間を置き、気持ちの整理を行う。
「ご足労とお気遣いに感謝いたします。卿の言をこの胸に刻みつけておきます」
   東からの声に西の男は笑顔を返す。
「では、また何かあれば卿を訪ねることにしよう」
   そう言って西の男は席から離れ立ち、その場で膝を着き頭を腰と水平に下ろすことで拝する。東の男もそれに呼応し、席から立ち返拝する。
   各々の側にある階を通じ堂から延に降り、東の男は門の横にある閤まで西の男を見送った。

   閤から東階を経て男は再び堂に上がり奥にある一段高い榻の上に南向きに座る。
「もう良いぞ」
   閤に向かって大声を出した。そうすると延の向こう側の閤が開き、人払いされていた官吏らが続々と戻ってきて、堂上に上がり、男の前に座る。男は手元の机上に木牘を広げ、筆先を硯に着け、常務を再開しつつも内心で考えをまとめている。
   男の姓名は朱儁で字は公偉と言い、河南尹という官職に就いている。年四十前後の同年代より皺が深く刻まれており、その半生が苦労を重ねたものであることを物語っている。河南尹は官職名でもあるが、同時に統治する郡規模の地域名も意味し、その管轄下には京師である雒陽が含まれている。そのため、河南尹には雒陽を守る職務も課せられており、重要な責任を抱いている。その責務の大きさに担い、雒陽にある河南尹の官府に九百人強にも昇る官吏が勤務している。
   今年に入り、董仲穎は信頼の置ける朱公偉を宿将にし身の安全を確保しようとした。朱公偉は表面上、それを親しく受け入れたが、心ではこれを嫌っていた。一方、公偉に弘農王殺害を報告した男の姓名は皇甫嵩で字は義真であり、公偉とは逆に董仲穎から恨まれていた。元々、皇甫義真は公偉の上官であり、昨年までは左将軍という高位にあり西の辺境で敵対する羌族と陣頭に立ち戦っていたが、董仲穎の策謀により雒陽に召還された上、一官吏に陥れられた。さらに命を奪われるところだったが、子の堅壽が仲穎と親交があり、死を覚悟した嘆願により義真は放免された。今、ようやく議郎という宿営の官職に就いている。そのため、先ほど義真が告げた言葉は説得力を持ち公偉の心に重く響いていた。
   その余韻はやがて公偉の心に疑念を生じさせる。それは、自分の身だけを案じるという消極的な行動で良いのか、というものだった。次第に、第二第三の殺害を出さぬために何か事を起こすべきだ、と確信に変わりつつあった。それが自らの身を危険に晒すことになろうとも領内の治安を守ることが河南尹としての責務であり男子の義であると決意した。
「丞官…」
   公偉は側に居る副官に声をかけ、こちらに顔を向けるや否や命令を下す。
「…御史中丞の許文休、督軍校尉の周仲遠の元を続けて訪問したい。悪いが今から段取りを取って欲しい」
   その命令により「唯(はい)」という返事で承諾され、復唱される。公偉は己の信念に導かれ初めの一歩を踏み出した心地で居た。



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