2007年10月の日記:[以前の日記]
 
 
10月31日(水)
 
 
図書館でプチクリを読みたかったんだけど、ずっと貸し出し中なので、岡田さんの対談本を古いのから順に読むことに。

岡田斗司夫/著『世紀末・対談 マジメな話』(アスペクト1998)

これは対談者によって面白さ(正確には自分が読みたかったと思うことなんだろうか)に変動があるんだけど、今野敏さんとの対談の中で至言と思うことがあった。以下引用

P233
--引用開始-------------------------------------------------------
今野 動機があって初めて、ものを作りはじめる。これが自然な流れだと思うんですよ。セールスがあってこれだけの目標を達成しなきゃいけないから、来年までにこれを作れ、と言われて作るのはね。
--引用終了-------------------------------------------------------

趣味の三国志関連にはこういうことはないけど、「目標を達成しなきゃいけない」ってあたり、そうだよなぁと思う。あと「予算枠」とかあるね。
自分で思っている分には良いが、これを押しつけた上に(さらに何故か恣意的なルール・価値観まで当然のように押しつける)人格否定までに使う輩はたまったもんじゃない。

どんなものでも大なり小なり必要性ってのはあるが、それだからこそ動機(欲求)だけの純粋な創作ってのは憧れる。


それとは別に創作に関し、あれこれ面白いことに触れられた。
(面白いんで、著作に対し対価を払いたいのはやまやまだけど、それは資本に余裕のあるときにとっておくことになりそうだ。残念)

栄養価の高い小説を書いていきたいなぁ。
line
10月28日(日)
 
 
3.まだ『礼記』に目を通し終える前に『儀礼』の訳註を借りてきてしまい、さらに三国志ニュースに記事をあげる(下記)
三国創作のための『儀礼』メモ
今、『礼記』の内則第十二をみているんだけど、家庭内のことが浮き彫りになっていて面白い。やっぱり時間切れの線が濃厚になってきた。


こう書くと三国志ファンになりたての中学生だか高校生みたいだけど、準備として年表をつくるのはいいかも。
ただそういった時系列で列べるんじゃなくて、『中国歴史・文化地理図冊』を元に県城と県城と道なりの距離をはかり、一日当たりの行軍距離を百里未満、馬の距離を四百里未満として県城間の所用時間を計算し、その年表に付記したいね。
そうすると書きやすいと思うので。
line
10月24日(水)
 
 
3.
礼記 檀弓上第三
三日目に殯(仮埋葬)、三ヶ月目に葬る

この殯が気になるなぁ。具体的には何、するんだろ。
line
10月16日(火)
 
 
3.礼記の曲礼上第一を一通り目を通す。まだ曲礼下第二があるんで、この調子だと今月中に礼記全部どころか四分の一も進まない感じだな。まぁ、十一月に入ったら見切りをつけるかスケジュールを延長するか決めたいところ。
line
10月13日(土)
 
 
3.礼記の曲礼上第一は心構えや態度のあり方で、やや抽象なのであまりメモとらず…と思ったらネタの宝庫でメモとりまくり。
買った方が早いのではないか、って感じ。
どうも私は堂上の上座下座を勘違いしていたみたい。礼においては賓客を尊重することありきなので、西が上座のようだ。客の官位が低いとわざわざ東階に行って、主人に固辞されてから、西階に行くとのこと。あと官府の堂の確認しないとね。こりゃ書き直す機会があればそう書き替えだな、きっと。
しかし11月に一通り読むの、間に合うかなぁ

4.189年に入る
いよいよ中央の動乱が始まる。楽しみだけど、かなり手間取りそうだ。
line
10月8日(月)
 
 
去年12月の発行日間もなくに購入した塩野七生/著『ローマ人の物語XI ローマ世界の終焉』なんだけど、いろいろあって今、ようやく読み始めている。
「第一部 最後のローマ人」を読み終える。
書かれている内容はもちろん面白いんだけど、何より自分の感情の起伏が面白かった。
最後のローマ人とはスティリコのことであり、健気に蛮族のイタリアへの侵略を防ぐため、右往左往していて、そんなスティリコ側へ感情移入していたんだけど、スティリコ派が謀殺されると、今度は西ローマ帝国の体制を憎むようになって、返って蛮族のアラリックを応援するぐらいの気持ちになり、ローマの都市が封鎖されると爽快感すら感じてしまっていた。
そういう意味では表題の「ローマ世界の終焉」に納得してしまう。さて第二部以降どうなるんだろう。

こういうのを見ると歴史を見ていく楽しさを改めて知るね。良い刺激を受ける。


それとは逆に後ろ向きの反応としては、他のジャンルで盛り上がっているのを見ると、嫉妬心に似た感情から創作の準備を無性に進めたくなったりすることかな。
と最近、そういうことあったんだけど(汗)
line
10月3日(水)
 
 
4.『大戴礼記』を一通り見終わる。でも大した収穫はなかったんで三国志ニュースには上げずに。
三国創作のための『夏小正』メモ
↑結局、これがピークだね。
とりあえずここに何も考えずメモをおいておく。

[β乍]階上(堂の東の階段、主人側)とは階段の上というとイメージしにくいが、つまりは堂と同じ高さの部分と考えれば理解しやすい。

・孔子の弟子が決して履を室の中へ入れなかった故事(つまり身分が低いと室の入り口に履をおく)


・曾子天圓 第五十八
 陰陽五行など、世界観

※どうも南容の故事を微妙に本質への理解を外していたのでメモ
・衛将軍文子 第六十
その詩をきくときには、白圭のかけている詩を一日に三たび繰り返して言い、あやまちやしくじりを犯すことのないように言語をつつしんで行動している。
白圭之[王占] かけるときは磨くがごとく

・五徳帝 第六十二
黄帝三百歳で人かそうでないかの質問→生きて百年畏れて百年教えを用いて百年

・盛徳 第六十六
天子の明堂の構造が書かれている。
[ウ/丁]位:天子が朝政をみるときの場所。[ウ/丁]立:門塀の間に立つ

・四代 第六十八
天子曰崩、諸侯曰薨、大夫曰卒、士曰不禄、庶人曰死

・諸侯選廟 第七十二
廟が出来てからの遷し方

・諸侯釁廟 第七十三
廟が出来てからの儀式

・朝事 第七十七
朝聘の記述。身分による立ち位置

・投壷 第七十八
投壷の礼という遊び(壷に矢を投げてその数で競う。罰酒あり。BGMあり)。
般還:賓客が再拝し矢を受けるとき主人はあえてその再拝に値しないという意を表するために、身をぐるりとまわるような謙譲の身振りをする

・公冠 第七十九
公が冠する具体例。
line
10月2日(火)
 
 
4.188年10月あたりまで
ここらへん、いろんなことがあって追うのはたいへんだけど、面白いなぁ。霊帝が軍事を推し進めていて、それに各人が振り回されているというか。
お次は皇甫嵩と董卓のコントだ。公孫[王賛]と劉虞のコントは入るかな?
line