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▼白崎ゆきとさん:
>石井先生は三国時代の軍制研究の第一人者です。
>三国時代の軍制について知りたければ、まず先生の論文を探すのが鉄則なんじゃないでしょうか。
>
>ちなみに孫呉の場合、『中国中世史研究 続編』に収められている『孫呉軍制の再検討』がいい手がかりになりますよ。
どうも教えていただき、ありがとうございます。
三国時代の軍制については興味ある方は多そうですね。
そういう方にはこの先生の著作を教えて差し上げれば良さそうです。
>> それより「陶謙も多くの丹陽兵をしたがえていた」という部分が気になりました。
>> あまり、私は陶謙について詳しくないんですが(出身地が丹楊というぐらいしか)、史書に募兵したとか記述、ありましたっけ……
>たしか、陶謙は地元の丹陽で募兵して……とか思ったのですが、調べてみたらそれはサク融の話でした。
>丹陽出身の粗暴な人物ということで、どうもこの2人は混同してしまいます。
じゃ、ほとんど史書に登場しないゼイ(くさかんむりに内)氏も粗暴なのかなぁ、なんて一瞬、思ってしまいました(汗)
じゃなくて、陶謙とサク融の共通点ですね、粗暴な人物つながりって。
私の中ではサク融さんはまず仏教関連で思い出します。言われてみれば粗暴つながりです。
>それはさておき、根拠になっているのは先主伝にある「謙以丹楊兵四千益先主」という記述じゃないかと思います。
>劉備に四千も分け与えることができたのならば、総数はもっと多かったでしょうからね。
おー、ありました、ありました。教えていただきありがとうございます。
てっきり後漢書か三国志の陶謙伝にあるかと思いました。
確かに分け与えるぐらいだから、その母集団は多そうですね。
史書に載っていない部分で、ひそかに募兵してたんでしょうかね。
>丹陽兵がどのような人びとによって構成されていたかを言及した資料を見たことはありませんが、自分はその大半が山越だったのではないかと考えています。
>丹陽兵として他と区別されていることや、曹操や何進が丹陽で兵を得ようとしていることなどがその理由です。
>とはいえ、この考え方は川勝先生の江南論を拝借したものに過ぎませんから、いろんな意味で大きな声では言えないのですけれどね。
丹陽兵の強さの秘密にそんな説があるのですね。
もしそれが史書を書いた当初の読み手にとって常識だったらわざわざそういうことを書きそうにないですからね。書き手にとっては「『丹陽兵』って書けばわかるだろう」ってつもりで「丹陽兵」って書いたかもしれませんね。
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