多目的掲示板
レスがあったらメールが欲しい」機能をご活用してください。
31 / 156 ツリー ←次へ前へ→

丹陽兵は強い? 清岡美津夫 03/2/8(土) 14:20 [未読]

Re:一般メディアでは? 白崎ゆきと 04/2/28(土) 21:40 お久です[未読]
Re:一般メディアでは? 清岡美津夫 04/3/1(月) 17:22 ハロ〜☆[未読]
Re:一般メディアでは? 白崎ゆきと 04/3/6(土) 22:02 [未読]
Re:一般メディアでは? 清岡美津夫 04/3/13(土) 12:49 [未読]

Re:一般メディアでは?
お久です  白崎ゆきと E-MAIL  - 04/2/28(土) 21:40 -

引用なし
パスワード
   丹楊兵が精兵だったという記述ですが、
三国時代の軍制研究で知られる石井仁先生の『曹操 魏の武帝』にも見られますよ。

> 曹操は酸棗の諸将をみかぎり、腹心の夏侯惇とともに揚州におもむく。
> 当地の「丹陽兵」は勇猛果敢なことで知られていた。
> 当時、揚州の江東は漢民族のフロンティア。
> だいたい、こういう地域の兵士は強い。
> 地元出身の群雄、陶謙も多くの丹陽兵をしたがえていた。
>             (石井仁『曹操 魏の武帝』P80より)

残念ながら、出典などについては記載されていませんね。

Re:一般メディアでは?
ハロ〜☆  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 04/3/1(月) 17:22 -

引用なし
パスワード
   どうも、教えていただき、ありがとうございます。
私は石井仁先生のことや著作のことを知らないのですが、そういうふうにさらりと丹陽兵のことがでてくるのですね。
なるほど、丹陽兵が強い理由付けは「漢民族のフロンティア」に居るからというわけなのですね。


それより「陶謙も多くの丹陽兵をしたがえていた」という部分が気になりました。
あまり、私は陶謙について詳しくないんですが(出身地が丹楊というぐらいしか)、史書に募兵したとか記述、ありましたっけ……

Re:一般メディアでは?
 白崎ゆきと E-MAIL  - 04/3/6(土) 22:02 -

引用なし
パスワード
   石井先生は三国時代の軍制研究の第一人者です。
三国時代の軍制について知りたければ、まず先生の論文を探すのが鉄則なんじゃないでしょうか。

ちなみに孫呉の場合、『中国中世史研究 続編』に収められている『孫呉軍制の再検討』がいい手がかりになりますよ。

> それより「陶謙も多くの丹陽兵をしたがえていた」という部分が気になりました。
> あまり、私は陶謙について詳しくないんですが(出身地が丹楊というぐらいしか)、史書に募兵したとか記述、ありましたっけ……

たしか、陶謙は地元の丹陽で募兵して……とか思ったのですが、調べてみたらそれはサク融の話でした。
丹陽出身の粗暴な人物ということで、どうもこの2人は混同してしまいます。

それはさておき、根拠になっているのは先主伝にある「謙以丹楊兵四千益先主」という記述じゃないかと思います。
劉備に四千も分け与えることができたのならば、総数はもっと多かったでしょうからね。

丹陽兵がどのような人びとによって構成されていたかを言及した資料を見たことはありませんが、自分はその大半が山越だったのではないかと考えています。
丹陽兵として他と区別されていることや、曹操や何進が丹陽で兵を得ようとしていることなどがその理由です。
とはいえ、この考え方は川勝先生の江南論を拝借したものに過ぎませんから、いろんな意味で大きな声では言えないのですけれどね。

Re:一般メディアでは?
 清岡美津夫 E-MAILWEB  - 04/3/13(土) 12:49 -

引用なし
パスワード
   ▼白崎ゆきとさん:
>石井先生は三国時代の軍制研究の第一人者です。
>三国時代の軍制について知りたければ、まず先生の論文を探すのが鉄則なんじゃないでしょうか。
>
>ちなみに孫呉の場合、『中国中世史研究 続編』に収められている『孫呉軍制の再検討』がいい手がかりになりますよ。

どうも教えていただき、ありがとうございます。
三国時代の軍制については興味ある方は多そうですね。
そういう方にはこの先生の著作を教えて差し上げれば良さそうです。

>> それより「陶謙も多くの丹陽兵をしたがえていた」という部分が気になりました。
>> あまり、私は陶謙について詳しくないんですが(出身地が丹楊というぐらいしか)、史書に募兵したとか記述、ありましたっけ……

>たしか、陶謙は地元の丹陽で募兵して……とか思ったのですが、調べてみたらそれはサク融の話でした。
>丹陽出身の粗暴な人物ということで、どうもこの2人は混同してしまいます。

じゃ、ほとんど史書に登場しないゼイ(くさかんむりに内)氏も粗暴なのかなぁ、なんて一瞬、思ってしまいました(汗)
じゃなくて、陶謙とサク融の共通点ですね、粗暴な人物つながりって。
私の中ではサク融さんはまず仏教関連で思い出します。言われてみれば粗暴つながりです。

>それはさておき、根拠になっているのは先主伝にある「謙以丹楊兵四千益先主」という記述じゃないかと思います。
>劉備に四千も分け与えることができたのならば、総数はもっと多かったでしょうからね。

おー、ありました、ありました。教えていただきありがとうございます。
てっきり後漢書か三国志の陶謙伝にあるかと思いました。
確かに分け与えるぐらいだから、その母集団は多そうですね。
史書に載っていない部分で、ひそかに募兵してたんでしょうかね。

>丹陽兵がどのような人びとによって構成されていたかを言及した資料を見たことはありませんが、自分はその大半が山越だったのではないかと考えています。
>丹陽兵として他と区別されていることや、曹操や何進が丹陽で兵を得ようとしていることなどがその理由です。
>とはいえ、この考え方は川勝先生の江南論を拝借したものに過ぎませんから、いろんな意味で大きな声では言えないのですけれどね。

丹陽兵の強さの秘密にそんな説があるのですね。
もしそれが史書を書いた当初の読み手にとって常識だったらわざわざそういうことを書きそうにないですからね。書き手にとっては「『丹陽兵』って書けばわかるだろう」ってつもりで「丹陽兵」って書いたかもしれませんね。

31 / 156 ツリー ←次へ前へ→
ページ:  ┃  記事番号:
(SS)C-BOARD v3.8 is Free