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朱儁を小人物として書いているのは吉川英治ですね。
引用します。原文では名を『後漢書』に拠っていますが、Jisコード外字なので「朱儁」と改めました。
>「ははあ。何処で雇われた雑軍だな」と、朱儁は、しごく冷淡な応対だった。/そして、玄徳へ、/「まあ、せいぜい働き給え。軍功さえ立てれば、正規の官軍に編入されもするし、貴公らにも、戦後、何か地方の小吏ぐらいな役目は仰せつかるから」/などともいった。/張飛は、/「ばかにしおる」/と怒ったが、玄徳や関羽でなだめて、前線の陣地へ出た。/食糧でも、軍務でも、また応対でも、冷遇はするが、与えられた戦場は、もっとも強力な敵の正面で、官軍の兵が、手をやいているところだ。
(うんぬん)
>それにひきかえて、本軍の総大将朱儁は、かえって玄徳の武功をよろこばないのみか、玄徳が戻ってくると、すぐこう命令した。/「せっかく、潁川にまとまっていた賊軍を四散させてしまったので、必ず彼等は、大興山の友軍や広宗の張角軍の合体して、廬植将軍のほうを、今度はうんと悩ますにちがいない。――貴公はすぐ広宗へ引っ返して、再び、廬植将軍に加勢してやり給え。今夜だけ、馬を休めたら、すぐ発足するがよかろう」/義はあっても、官爵はない。勇はあっても、官旗を持たない。そのために玄徳の軍は、どこまでも、私兵としか扱われなかった。/(よく戦ってくれた)と、恩賞の沙汰か、ねぎらいの言葉でもあるかと思いのほか、休むいとまもなく、(ここはもうよいから、広宗の地方へ転戦して、廬将軍を援けにゆけ)/という朱儁の命令には、玄徳は素直な質なので、承知して戻ったが、関羽も、張飛も、それを聞くと、/「え。すぐにここを立てというんですか」/と、むっとした顔色だった。
このあと劉備一行は董卓からも冷たい仕打ちを受け、ついに張飛の堪忍袋の緒が切れます。
>「――ちッ、畜生っ。官位がなんだっ。官職がない者は、人間でないように思ってやがる。馬鹿野郎ッ。民力があっての官位だぞ。賊軍にさえ、蹴ちらされて、逃げまわって来やがったくせに」/「これッ、鎮まらんか」/「離してくれ」/「離さん。関羽関羽。なぜ見ているか、一緒に、張飛を止めてくれい」/「いや関羽、止めてくれるな。おれはもう、堪忍の緒を切った。――功を立てて恩賞もないのは、まだ我慢もするが、なんだ、あの軽蔑したあいさつは。――人を雑軍かとぬかしおった。私兵かと、鼻であしらいやがった。――離してくれ、董卓の素ッ首を、この蛇矛で一太刀にかッ飛ばして見せるから」
結局、官職のない者を人とも見ない当時の官僚の増長ぶり、それに業を煮やす張飛の暴れぶりを書きたいがために朱儁を小人物として描いたということのようです。
ただし、賄賂うんぬんについてはむしろ反対に潔白さを見せています。
>その悪政を数えたてればきりもないが、まず近年のことでは、黄巾の乱後、恩賞を与えた将軍や勲功者へ、裏からひそかに人をやって、/「公等の軍功を奏上して、公等はそれぞれ莫大な封禄の恩典にあずかりたるに、それを奏した十常侍に、なんの沙汰もせぬのは、非礼ではないか」/などと賄賂のなぞをかけたりした。/恐れて、すぐ賂を送った者もあるが、皇甫嵩と、朱儁の二将軍などは、/「何をばかな」/と一蹴したので、十常侍たちは交々に、天子に讒したので、帝はたちまち、朱儁、皇甫嵩のふたりの官職を剥いで、それに代るに、趙忠を車騎将軍に任命した。
けれども、一度しか読んだことがないのでしかとは言い切れないのですが、吉川英治をベースにした横山光輝の漫画では、劉備に袖の下を求めていたような記憶があります。
劉備の行動をたどりながら読者が当時の腐敗した空気を理解できるよう考慮されたものだと思いますが、そのため、たまたま劉備と接触のあった朱儁が小吏・汚吏の役割を与えられてしまったのでしょう。
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