前漢に鐙はあった?!

ほかの三国志ファンには大したことないかもしれないけど、私にとって重大なこと。

趣味で小説を書くにあたり、資料としてちょくちょく「中国古代の服飾研究(増補版)」という本を図書館から借りている。
http://cte.main.jp/sunshi/w/w021124.html
↑その本。増補版の原本は1992年に書かれ1994年に訳されたそうな。
それで資料としてなので未だに一通り読むなんてことはしていない。
それで何気なく、136ページから140ページまでの「漢の刻画に見られる数種の騎士」という項目をみていた。
136ページから139ページまでは前漢の騎馬画像(壁画とか)が掲載されていて、あぁ、これが胡族の服装か、これが騎士の服装かなんて見てたんだけど、最後のページにでてきたのが「石寨山出土の銅製騎馬像」の写真とそれを解説する文章。石寨山とは雲南省晋寧県にあるとのこと。
まぁ、それは気にならなかったんだけど、問題はその文の方。
騎馬画像には詳しく書かれていないが、このころ(文の流れ的に前漢?)にすでに鐙(あぶみ)があったとすることが書かれていて、その証拠として同じページの「石寨山出土の銅製騎馬像」の写真があげられている。
その写真を見ると鐙と思われるものが確かに写っている。サイドビューだから左右二本ついているかどうか不明だけど。
また、本文にも書かれていたことなんだけど、青銅像と違って画像の方はいっさい鐙が描かれていない。
単に描画技術や技法上の省略なのか、それほど鐙が普及してなかったのかよくわからない。

それまで私の中の定説は、例えば「中国古代の生活史」の99ページに書かれているように

「鐙は中国では四世紀のおわりごろが早い例で、乗る時のために鞍の片側だけにつけられている。」

といったもので、まさか前漢にすでに発明されていたなんてにわかに信じがたい。
(ちなみに「中国古代の生活史」の100ページに載っている後2世紀の銅製騎馬像には鐙がない)

http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=75
↑「中国古代の生活史」

実際はどうだったんだろ? ほかに何か資料がないかなぁ。

ちなみに銅製騎馬像と同じ雲南省晋寧県石寨山出土の青銅器「狩猟場面貯貝器」が中国国宝展(国立国際美術館、2005年1月18日~3月27日)に出展されていたんだけど、その一部が騎馬像だったが、鐙はなかった。

<2008年1月4日追記>
近頃、思っているんだけど、石寨山出土って滇族の文化だよね。

<2008年6月24日追記>
下記のリンク先(始皇帝暗殺(その2)の方)によると、石寨山出土の騎馬像は片側の鐙だそうな。

・睡人亭
http://www.shuiren.org/
・始皇帝暗殺(その2)
http://www.shuiren.org/chuugoku/koramu/ko981011.htm#sono2


※追記 メモ:漢中興士人皆冠葛巾

※追記 『中国古代の生活史』復刊(2009年12月15日)

※追記 リンク:模範解答でいいのか(ニュースな史点2012/4/30の記事)

※追記 ノート1:三国志学会 第五回大会


※追記 第17回三顧会 午前(2012年8月14日)

※新規関連記事 中国の服飾史入門史(2023年4月18日発売予定)

※新規関連記事 三国時代の雲南(黒川古文化研究所 2023年11月5日)

※新規関連記事 メモ:数寄語り 皇甫嵩戦記(岐阜県大垣市 時re風2023年9月15日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/64