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補足説明ありがとうございます!
とっても分かりやすかったです
>>> 夏六月、諸葛亮は食糧が底をついたので撤退した。青封木門まで来たところで軍を止め、大きな木があったので皮を削り、「張コウ、この樹の下に死す」と書きました。そして左右の山に伏兵を設けます。張コウが追いかけてきて、その木を見た瞬間、諸葛亮の伏兵が一斉に矢を放ち、張コウは死んでしまいました…。
>こりゃホウ涓の最期とおんなじですがな。
張コウの進軍は、やはりそれが即ち死を意味していたのでしょうか。
だから諸葛亮も、彼の死を予言するような事を記した、と感じました。
>つづいて『資治通鑑』に注釈を施した胡三省の解釈。
>>>司馬懿は心底諸葛亮を恐れていたし、それに張コウが二度も諸葛亮を防ぎ、関中で名声を挙げていたので、彼の計略を聞き入れたくなかったのだ…。
>司馬懿の気持ちをそんな風に決めつけられても…。
司馬懿がそんな私情を挟むような理由で張コウを進軍させる、と言うことは考えられるんでしょうか、
司馬懿が味方を斬った例は私も曹爽や孟達を知っているんですが、どちらの場合も魏に仇なす人間だから、と言う理由でしたよね
もし張コウの時もこれと同じで、何らかの理由があって味方を斬りざるをえなかった、という風に考えるとしても、その理由はいったいなんだったのでしょう。
張コウが生前、曹爽らのように国内を乱すような行いをしたという話は書かれていませんでしたし(そもそも内政にはほとんど触れていない?)対蜀に対しても献身したという風にしか書かれていませんでした。
やはり、もし司馬懿が張コウを殺すために進軍命令を出したと考える場合、その理由は今回書いて下さった「資治通鑑に注釈を施した胡三省の解釈」と同じように、司馬懿の私情、私怨によったものと考えるしかないのでしょうか。
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