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『晋書』武帝紀に、
封 皇 叔 祖 父 孚 為 安 平 王 , 皇 叔 父 幹 為 平 原 王 ,
って感じであったんですけど、どーでしょう?
私的な感覚としましては、「儒教的」って括りでの判断が曲者というか、儒教といっても前漢の学、西晋の学、南宋の朱子学それぞれで全然違うものでしょうし、それ以前に生活習慣と原典経典とは違うものですしね。
たとえば、『論語』や『孟子』には儒教という単語は無いみたいですから、史料に無い字句の使用を避けて「儒教」という言葉は外して使わないでおこう、なんてスタンスも有り得ます。
時代を超えて体系的に中国の宗教史を観察しようとすれば、儒教という言葉や観念が有効ですが、
特定の時代や特定の人物の行動や言葉を探るのに、総体的で全時代俯瞰的な「儒教」というモチーフで判断するのはちょっと軽率ではないでしょうか。
まず「儒教」の定義なんてのが必要ですが、もちろん劉備個人の儒教観を定義してくれる史料なんて無い訳です。
同時代や別の時代の儒教の解釈を見て、当否を判断することになりますが、別の人の意見を元にするんですからどこまで信用できるかは分かりません。
私は光栄の「三國志U」と横山光輝から三国志の世界に入りましたが、五帝とか夏殷とか『山海経』とかのモチーフの原点に最大の関心があるもので、はっきり言って儒教だとこうだとか、紋切り型の解釈はあんまり採用しませんねぇ。
だって、儒教がどうだとか言ってる最大の陣営は南北朝隋唐の史家か宋代の史家なんで、ちょっと参考にし過ぎると古代史的には研究になりません。
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