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▼muracchiさん:
>はじめまして、はじめて投稿します。
>今、一番知りたいのが張遼の個人の武勇伝についてです。
>「三国志正史の張遼伝」は読んだのですが、それ以外の呂布に仕えていた時代などのことを知っている方がいましたら教えてください。
初めまして
『三国志』魏書張遼伝はすでにご覧になられたとのことなので、今、手元の『三国志集解』[#T448]を見てみると、『三国志』魏書張遼伝の
布為李[イ寉]所敗從布東奔徐州領魯相時年二十八
(清岡による訳:呂布は李[イ寉]に敗れ、(張遼は)呂布に従い徐州へ東に奔走し、(豫州)魯相を領し、その時、年二十八だった)
と書かれている直後の注(『三国志集解』部分)に
通鑑建安三年呂布遣北地太守雁門張遼攻劉備胡三省曰呂布以遼遙領北地太守
(清岡による訳:『資治通鑑』では、「建安三年、呂布は(涼州)北地太守の雁門の張遼を遣って劉備を攻めさせた」。胡三省は言う。「呂布は張遼をもって北地太守に遙領した」)
とのことなので、実際に『資治通鑑』を見てみると、建安三年五月以降九月以前のところに
呂布復與袁術通、遣其中郎將高順及北地太守雁門張遼攻劉備。曹操遣將軍夏侯惇救之、為順等所敗。
(清岡による訳:呂布と袁術は再び通じ、その中郎将の高順および北地太守の雁門の張遼を遣って劉備を攻めさせた。曹操は将軍の夏侯惇を遣ってこれを救わせ、高順らに敗れるところとなった)
となっていますね。
求めておられるものとはほど遠いもののように思えるんですが、『三国志』魏書張遼伝以外で「呂布に仕えていた時代」だとこれぐらいしかないように私には思えます(というわけでそれ以外は他人任せです・笑)
「遙領」はそのままの意味だと「遠く領した」ですが、名だけで実がともなわない領なのですかね。
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