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【2863】青龍とは? 如墨委面 2007/7/30(月) 0:34 教えて
┣ 【2864】Re:青龍とは? 孫ぽこ 2007/7/30(月) 18:58
┃┗ 【2865】Re:青龍とは? おりふ 2007/7/30(月) 21:56
┃┗ 【2867】Re:青龍とは? ペテン師 2007/7/31(火) 21:50 多分…
┃┗ 【2868】Re:青龍とは? シズ 2007/7/31(火) 23:26
┣ 【2870】Re:青龍とは? 如墨委面 2007/8/1(水) 7:45
┃┗ 【2875】Re:青龍とは? 如墨委面 2007/8/5(日) 20:02
┣ 【3218】Re:青龍とは? 天雀 2008/9/22(月) 10:14
┗ 【3697】Re:青龍とは? 通りすがり 2011/8/27(土) 19:28

【2863】青龍とは?
教えて  如墨委面  - 2007/7/30(月) 0:34 -

引用なし
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   ちょっと突拍子もない質問をします。

『魏志』明帝紀の青龍元年の条に、

「青龍元年春正月甲申、青龍見[夾β]之摩陂井中。二月丁酉、幸摩陂觀龍。於是改年、改摩陂為龍陂」

青龍元年正月に[夾β]県の摩陂の井の中に青龍が現れた。二月に明帝が摩陂へ行幸して龍を見た。そこで、年号を青龍と改め、摩陂の地名を龍陂と改めた。

という記事があります。

『三国志』を読んでいると、龍が現れたとか鳳凰が現れたとかいった瑞祥の記事をよく見かけますが、この記事には、ただ龍が現れたというだけでなく、その龍を明帝が見たと書いてあります。

そこで質問なのですが、この明帝が見た龍とは一体何なんでしょう。何か、龍が現れたといえるような現象があったのでしょうか。まさか青色のトカゲが現れた、ということではないと思いますが……

どうでもよいことかも知れませんが、どうも気になって仕方がありません。推測でも結構ですから、どなたか教えてください。

                   委面如墨

【2864】Re:青龍とは?
 孫ぽこ WEB  - 2007/7/30(月) 18:58 -

引用なし
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   ▼如墨委面さん:
>ちょっと突拍子もない質問をします。
>
>『魏志』明帝紀の青龍元年の条に、
>
>「青龍元年春正月甲申、青龍見[夾β]之摩陂井中。二月丁酉、幸摩陂觀龍。於是改年、改摩陂為龍陂」
>
>青龍元年正月に[夾β]県の摩陂の井の中に青龍が現れた。二月に明帝が摩陂へ行幸して龍を見た。そこで、年号を青龍と改め、摩陂の地名を龍陂と改めた。
>
>という記事があります。
>
>『三国志』を読んでいると、龍が現れたとか鳳凰が現れたとかいった瑞祥の記事をよく見かけますが、この記事には、ただ龍が現れたというだけでなく、その龍を明帝が見たと書いてあります。
>
>そこで質問なのですが、この明帝が見た龍とは一体何なんでしょう。何か、龍が現れたといえるような現象があったのでしょうか。まさか青色のトカゲが現れた、ということではないと思いますが……
>
>どうでもよいことかも知れませんが、どうも気になって仕方がありません。推測でも結構ですから、どなたか教えてください。
>
>                   委面如墨

いや、全く分かりませんが・・・

今、ふと思いついたのは、【化石】かな?と。

【2865】Re:青龍とは?
 おりふ WEB  - 2007/7/30(月) 21:56 -

引用なし
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   ▼孫ぽこさん:
>▼如墨委面さん:
>>ちょっと突拍子もない質問をします。
>>
>>『魏志』明帝紀の青龍元年の条に、
>>
>>「青龍元年春正月甲申、青龍見[夾β]之摩陂井中。二月丁酉、幸摩陂觀龍。於是改年、改摩陂為龍陂」
>>
>>青龍元年正月に[夾β]県の摩陂の井の中に青龍が現れた。二月に明帝が摩陂へ行幸して龍を見た。そこで、年号を青龍と改め、摩陂の地名を龍陂と改めた。
>>
>>という記事があります。
>>
>>『三国志』を読んでいると、龍が現れたとか鳳凰が現れたとかいった瑞祥の記事をよく見かけますが、この記事には、ただ龍が現れたというだけでなく、その龍を明帝が見たと書いてあります。
>>
>>そこで質問なのですが、この明帝が見た龍とは一体何なんでしょう。何か、龍が現れたといえるような現象があったのでしょうか。まさか青色のトカゲが現れた、ということではないと思いますが……
>>
>>どうでもよいことかも知れませんが、どうも気になって仕方がありません。推測でも結構ですから、どなたか教えてください。
>>
>>                   委面如墨
>
>いや、全く分かりませんが・・・
>
>今、ふと思いついたのは、【化石】かな?と。

五石散を服用して幻覚でも見たのでは(笑)

冗談はさておき私も全くの想像ですが当時の人々は龍とか仙人とかそういったものの存在を信じていたわけですから、例えば龍なら竜巻とか、変わった形の雲とかをみて「龍だ!」なんて言った人がいて、それに尾ひれが着いて皇帝をヨイショするために「青龍があらわれました!吉兆です!」なんて報告になったのではないでしょうか。ちょっと珍しい鳥が現れて「鳳凰現る!」とか。

(ちなみに五石散は強壮剤で体が温まるらしいのですが幻覚作用は無さそうですね:p)

【2867】Re:青龍とは?
多分…  ペテン師  - 2007/7/31(火) 21:50 -

引用なし
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   よくわからないので憶測で書きます。

青龍が現れたとか、見たというのは恐らく、そういった風聞をを流す前に部下Aや部下Bなどが井戸の中や何処何処の木の下などに青龍の書かれた木簡や石像などを埋めておき、偶然を装い発見する。
発見したあとに皇帝が見に来るとか、それに書かれた人が見に来るとかという類のことではないでしょうか?

一つ例を挙げますと
王莽が漢から禅譲を受ける前などに『王莽が皇帝の禅譲を受ける銅箱が発見された』などということがおこってます。

あと龍や鳳の出現により正統王朝を印象付けて人心掌握を図ったのではないでしょうか?

【2868】Re:青龍とは?
 シズ E-MAIL  - 2007/7/31(火) 23:26 -

引用なし
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   こんばんわ。横から失礼致します。
以下、全くの憶測です。


正史の「明帝が龍を見た→年号を青龍にした」という記述を、
逆にしたらどうですかね?
つまり、


年号を変えた→変えたからには理由があるはずだ
→きっとこんな瑞祥があったんだろう


三国志にそういう不確かな話題は「不確かである」とか何とか書いてあったりしますが、
陳寿以後の人が書き足したのではないでしょうか。


曹操の妻であるベン皇后の話ですが、
生まれたときに黄気が部屋に満ちたそうで、占ってもらうと、
めでたいしるしだと言われたとか。
ですがその時は、彼女が皇后になるとは誰も思っていないはずですよね。
逸話が残っていたのではなく、
「皇后になった人だし、生まれたときから違ってたんだろうな」
で逸話が追加記述されたのではないかと思うのです。


以上、おそまつ様でした。
<sage>

【2870】Re:青龍とは?
 如墨委面  - 2007/8/1(水) 7:45 -

引用なし
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    『明帝紀』には、龍の出現は、青龍元年の記事しかないようです。そこで、これより後の龍の出現を『三少帝紀』で追ってみました。

 司馬懿の後を継いだ司馬師(司馬景王)は、正元元年(254)九月に魏帝の斉王(曹芳)を廃しています。そして高貴郷公(曹髦)が魏帝になりました。この後、龍の出現報告が頻出します。

正元元年(254)十月戊戌、黄龍見于[業β]井中。
甘露元年(256)正月辛丑、青龍見[車只]縣井中。
甘露元年(256)六月乙丑,青龍見元城縣界井中。
甘露二年(257)二月、青龍見温縣井中。
甘露三年(258)是歳、青龍・黄龍仍見頓丘・冠軍・陽夏縣界井中。
甘露四年(259)正月、黄龍二見寧陵縣界井中。※
景元元年(260)十二月甲申、黄龍見華陰縣井中。
景元三年(262)二月、青龍見于[車只]縣井中。

 甘露四年正月の記事(※)の後には、斐松之の次の注があります。

漢晉春秋曰、是時龍仍見、咸以為吉祥。帝曰、龍者、君徳也。上不在天、下不在田、而數屈於井、非嘉兆也。仍作潛龍之詩以自諷、司馬文王見而惡之。

漢晉春秋はいう。このとき、しきりに龍が現れるのを、みな吉祥となしたが、帝(高貴郷公)は「龍は君主の徳をあらわすものである。それが上は天にいず、下は田にいないで、しばしば井戸の中に屈しているのは、めでたいきざしではない」と言って、潜龍之詩を作って自分の皇帝としての徳を風刺した。司馬文王(司馬昭)は見てこれを憎んだ。

 この後、甘露五年(260=景元元年)五月に高貴郷公は司馬昭に対してクーデターを起こして殺されました。年二十でした。次の皇帝は陳留王(常道郷公曹奐)がなりました。
 司馬昭は景元五年(264=咸熙元年)に晋王になりましたが、翌咸熙二年(265)八月に逝去しました。そして、その跡を継いで晋王になった息子の司馬炎は、その年の十二月に皇帝の陳留王曹奐から禅譲を受けて皇帝(晋の武帝)になりました。

 こうしてみると、『三少帝紀』の時期の龍の出現は、司馬氏の帝位簒奪の雰囲気作りのために仕組まれたもののように見えます。こんな報告は司馬氏の息がかかった官吏にさせれば、いくらでもできます。
 高貴郷公が潜龍之詩を作り、司馬昭がこれを憎んだというのも、龍の出現の報告が司馬昭によって仕組まれたものだとすれば、納得がいきます。

 ですから『明帝紀』の、明帝がわざわざ行幸して龍を見た上で改元したという記事が、非常に気になるわけです。それとも、これは明帝が一枚かんでいた芝居だったのでしょうかね。
 つまり、潜龍之詩は、皇帝とは名ばかりで何の権限もなかった高貴郷公の鬱屈した気持の現れだったのでしょうが、明帝の場合は立場が違いまから、龍の出現が皇帝の徳をあらわすと考えて、一芝居打ったと考えられなくもないという気がします。

                   委面如墨

【2875】Re:青龍とは?
 如墨委面  - 2007/8/5(日) 20:02 -

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   > 『明帝紀』には、龍の出現は、青龍元年の記事しかないようです。

 これは私の間違いで、もう一つありました。

景初元年(237)春正月壬辰、山荏縣言黄龍見。

 ここに景初元年正月とあるのは青龍五年正月のことですが、魏では、この龍の出現を契機に改暦の論議が起こり、青龍五年三月を景初元年四月とする改元が行われたため、遡って景初元年と記載されたものです。

 この青龍五年三月を景初元年四月とするとはどういうことかについて、簡単に書いておきます。

 当時、王朝は天地人の三統によって暦を循環させるという思想がありました。中国古代の夏王朝は天統なので、夏暦は太陽暦の二月が正月、殷王朝は地統なので、殷暦は一月が正月、周王朝は人統なので、周暦は十二月が正月とされてきました。
 そして、漢は天統を得ているので夏暦によっていました。ところが、魏は地統を得ているにもかかわらず、漢から禅譲を受けた後、そのまま夏暦を使っていたので、景初の改元と同時に、月を一ヶ月ずらして殷暦にしたというわけです。
 ところが、明帝は、景初三年一月一日に崩御しました。そのため、これ以降、殷暦だと毎年正月元日が明帝の命日ということになって非常に都合が悪いことになります。そこで、景初三年十二月に詔勅を出して、十二月の次に後十二月を置き、その翌月を正始元年正月し、殷暦を夏暦に戻す変更を行いました。
 つまり、景初年間だけは、暦の月が現在の太陽暦とほとんど同じだったということになります。

 ちなみに、この夏暦、殷暦、周暦というのは、正月をどの月に置くかという問題であって、暦法ではありません。暦法というのは、暦日を計算する公式のようなものですが、ややっこしいことに、魏はこの改元のときに、暦法も、それまでの太和暦から景初暦に変更しています。この景初暦は、晋の時代にも泰和暦と名前をかえただけで引き続き使われました。

                   委面如墨

【3218】Re:青龍とは?
 天雀 E-MAILWEB  - 2008/9/22(月) 10:14 -

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   青龍とは、私が推測するに、稲妻では?

朱雀、青龍、白虎、玄武
4方を守るものですので、巨大なものだと考えると稲妻がぴったりでは?
闇に光る稲妻は、時には青く見えませんか?
また、天から地への下龍や雲から雲へと、まるで生きているように見えませんか?

地震=玄武、雷=青龍、火事=朱雀、オヤジ=白虎(自爆)

お粗末でした。m(__)m

▼如墨委面さん:
>ちょっと突拍子もない質問をします。
>
>『魏志』明帝紀の青龍元年の条に、
>
>「青龍元年春正月甲申、青龍見[夾β]之摩陂井中。二月丁酉、幸摩陂觀龍。於是改年、改摩陂為龍陂」
>
>青龍元年正月に[夾β]県の摩陂の井の中に青龍が現れた。二月に明帝が摩陂へ行幸して龍を見た。そこで、年号を青龍と改め、摩陂の地名を龍陂と改めた。
>
>という記事があります。
>
>『三国志』を読んでいると、龍が現れたとか鳳凰が現れたとかいった瑞祥の記事をよく見かけますが、この記事には、ただ龍が現れたというだけでなく、その龍を明帝が見たと書いてあります。
>
>そこで質問なのですが、この明帝が見た龍とは一体何なんでしょう。何か、龍が現れたといえるような現象があったのでしょうか。まさか青色のトカゲが現れた、ということではないと思いますが……
>
>どうでもよいことかも知れませんが、どうも気になって仕方がありません。推測でも結構ですから、どなたか教えてください。
>
>                   委面如墨

【3697】Re:青龍とは?
 通りすがり  - 2011/8/27(土) 19:28 -

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   私も前から、この記事が気になっていたのですが、
皆さんのおっしゃる通り、この頃、井戸の中に龍が現れたという記事が多く見られます。一字一字辞書を引き直していくと、『漢語大詞典』の「井」の項目に、漢代の墓から出土した陶製の井戸の図があります。
この図から、当時の井戸には屋根があったことが分かります(もちろん、全てではないでしょうが)。

次に、日本史で井戸に龍が現れた事件があったか考えましたが、史書を読み込んでいるわけではないので、分かりません。
しかし、ネットを検索すると、緇井鶏子(しい けいこ)さんという方のブログに大阪の四天王寺の龍の井戸について興味深いことが書かれていました。

>水屋の天井に龍が描かれていて その姿が井戸の底に映って見えるそうです 
>井戸の中に龍の像を入れてもだめで 天井画を水面に映す 
>という 

これは何が起源なんでしょうか?
あくまで想像ですが、当時も井戸の屋根に細工をして龍の絵を水面に写していた可能性もあるのかなと思いました。
あまり、辞書に載っている図はあまりよく見ないこともありますが、やはり情報として重要ですね。
参考にならないかもしれませんが、とりあえず投稿しておきます。

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