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【2489】素朴な質問 ペテン師 2006/9/5(火) 0:46
┣ 【2490】Re:素朴な質問 巫俊(ふしゅん) 2006/9/5(火) 1:45
┣ 【2494】Re:素朴な質問 清岡美津夫 2006/9/6(水) 12:23 雑談
┃┗ 【2803】三年之喪 清岡美津夫 2007/5/11(金) 18:05 雑談
┃┣ 【2806】Re:三年之喪 ペテン師 2007/5/11(金) 20:01
┃┃┗ 【2807】Re:三年之喪 清岡美津夫 2007/5/11(金) 20:13 ひと言
┃┃┗ 【2810】Re:三年之喪 ペテン師 2007/5/13(日) 12:05
┃┃┗ 【2811】Re:三年之喪 清岡美津夫 2007/5/14(月) 18:53 雑談
┃┃┗ 【2812】Re:三年之喪 ペテン師 2007/5/14(月) 23:04
┃┗ 【2916】Re:三年之喪 如墨委面 2007/9/29(土) 9:36 ひと言
┃┗ 【2928】Re:三年之喪 池田雅典 2007/10/16(火) 18:33
┗ 【2794】在職三年(劉ェ関連) 清岡美津夫 2007/4/23(月) 12:43 ひと言

【2489】素朴な質問
 ペテン師  - 2006/9/5(火) 0:46 -

引用なし
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   ちょい考え事をしていて頭がこんがらがり始めてしまいました。
年齢計算だと没年ー年齢+1年=生年となります。
官にあること5年とかいう場合は就任の年を1年と見るのですか?それとも翌年を1年と見るべきなのでしょうか。
また、流刑や強制移住のときの年数は流された年が1年とみなすのでしょうか。
これらの捕らえ方を誤まるとその武将の年齢までずれていく恐れがあるので…

【2490】Re:素朴な質問
 巫俊(ふしゅん) WEB  - 2006/9/5(火) 1:45 -

引用なし
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   根拠のない返答です。
臨時の官を除いて、年の初めに就官するシステムなり制度なりがある国では、翌年から数えるのが通例ではないでしょうか。
現在の日本の「年度」なるものがそれですよね。

さて、中国の後漢三国時代に「年度」に類似するような、年の数え方は普及しているんでしょうか。
用例をあたったことも、注意したこともないので、真打の回答者の登場を待ちたいです。

>没年ー年齢+1年=生年

これは0歳という概念のないことから起因していますよね。

【2494】Re:素朴な質問
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2006/9/6(水) 12:23 -

引用なし
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   おっしゃるとおり、年齢に関しては数え年でそうなりますし、証拠となる記述も[#1039]のようにあります。
私もその他の年の記述で気になるところがありますね。n年間なのか足かけn年なんのかっていうのは。
[#T720]
↑元々、n年間しか思いつかなかったのですが、このツリーのやりとりを見て足かけn年という概念もあるんだな、と気付かされました。
「一年」間以内のことを表現するのには「n月」って表現になると勝手に思いこんでいたんですが、今、三国志およびその注で検索かけてみると、意外とありますね(汗)
「一年田租」やら「一年餘」やら「未一年」やらの表記だと一年間だとか一年以上だとか一年以内だとか分かりやすいんですが。

【2794】在職三年(劉ェ関連)
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2007/4/23(月) 12:43 -

引用なし
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   ▼ペテン師さん:
>ちょい考え事をしていて頭がこんがらがり始めてしまいました。
>年齢計算だと没年ー年齢+1年=生年となります。
>官にあること5年とかいう場合は就任の年を1年と見るのですか?それとも翌年を1年と見るべきなのでしょうか。
>また、流刑や強制移住のときの年数は流された年が1年とみなすのでしょうか。
>これらの捕らえ方を誤まるとその武将の年齢までずれていく恐れがあるので…

劉ェ伝を見ていたら、ヒントになる記述をたまたま見かけたので、メモを残しておきます。
少なくとも在職の場合の年の数え方は年齢と同じく足かけn年のようですね。

・後漢書劉ェ伝
拜衛尉。光和二年、復代段ケイ為太尉。在職三年、以日變免。

・これに対応する後漢書本紀

(光和二年)
五月、衛尉劉ェ為太尉。

(光和四年)
九月庚寅朔、日有食之。
太尉劉ェ免、衛尉許[有或]為太尉。

【2803】三年之喪
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2007/5/11(金) 18:05 -

引用なし
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   以下、もう元の質問から話がずれまくっているんですが、参考の一つとしてsage投稿で書き込んでおきます。

『礼記』三年問によると、

三年之喪、二十五月而畢、哀痛未盡。

三年の喪は二十五ヶ月で終え、哀痛は未だ尽きない。

ということで、「三年の喪」といっても三十六ヶ月ではなく二十五ヶ月なんですね。
<sage>

【2806】Re:三年之喪
 ペテン師  - 2007/5/11(金) 20:01 -

引用なし
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   ▼清岡美津夫さん:
>以下、もう元の質問から話がずれまくっているんですが、参考の一つとしてsage投稿で書き込んでおきます。
>
>『礼記』三年問によると、
>
>三年之喪、二十五月而畢、哀痛未盡。
>
>三年の喪は二十五ヶ月で終え、哀痛は未だ尽きない。
>
>ということで、「三年の喪」といっても三十六ヶ月ではなく二十五ヶ月なんですね。

でもコレって捕らえ方によるでしょうけど
生まれた年を1歳とする考え方と同じなんでしょうね。
死んだ時を1年目として足掛けで考えれば25ヶ月で3年という考えになるかもしれない…むりかな?
んーどうなんでしょう。

【2807】Re:三年之喪
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2007/5/11(金) 20:13 -

引用なし
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   ▼ペテン師さん:
>▼清岡美津夫さん:
>>以下、もう元の質問から話がずれまくっているんですが、参考の一つとしてsage投稿で書き込んでおきます。
>>
>>『礼記』三年問によると、
>>
>>三年之喪、二十五月而畢、哀痛未盡。
>>
>>三年の喪は二十五ヶ月で終え、哀痛は未だ尽きない。
>>
>>ということで、「三年の喪」といっても三十六ヶ月ではなく二十五ヶ月なんですね。
>
>でもコレって捕らえ方によるでしょうけど
>生まれた年を1歳とする考え方と同じなんでしょうね。
>死んだ時を1年目として足掛けで考えれば25ヶ月で3年という考えになるかもしれない…むりかな?
>んーどうなんでしょう。

えぇ、これも足掛けの発想でOKだと思いますよ。
三年間じゃなくて三年目でOKってことかと…
<sage>

【2810】Re:三年之喪
 ペテン師  - 2007/5/13(日) 12:05 -

引用なし
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   3年の喪が25ヶ月だとして

袁紹は母の喪に服し、喪服期間が終わると、遡って父の喪に服して計六年間喪に服した。…とあります。
恐らく母の喪が終わり、即父の喪に服したものだと思うのですが〜
6年の喪に服するというのは4年2ヶ月の50ヶ月なのかなー
それとも翌年まで喪に服すことが出来ないのかな?って疑問が出ます。

【2811】Re:三年之喪
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2007/5/14(月) 18:53 -

引用なし
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   ▼ペテン師さん:
>3年の喪が25ヶ月だとして
>
>袁紹は母の喪に服し、喪服期間が終わると、遡って父の喪に服して計六年間喪に服した。…とあります。
>恐らく母の喪が終わり、即父の喪に服したものだと思うのですが〜
>6年の喪に服するというのは4年2ヶ月の50ヶ月なのかなー
>それとも翌年まで喪に服すことが出来ないのかな?って疑問が出ます。

おぉ、それは面白い指摘ですねー

英雄記曰:紹生而父死、二公愛之。幼使為郎、弱冠除濮陽長、有清名。遭母喪、服竟、又追行父服、凡在冢廬六年。

計六年間というより、単に三年の喪+三年の喪で、単純に六年という表記にしているんでしょうかね。。。。

と、いろいろ調べていたら、史記卷四十七 孔子世家第十七にある孔子の話に行き着き、

孔子葬魯城北泗上、弟子皆服三年。三年心喪畢、相訣而去、則哭、各復盡哀;或復留。唯子貢廬於冢上、凡六年、然後去。

これ以上、調べるとなんとなく泥沼に填りそうなので、踏みとどまりました(笑)

【2812】Re:三年之喪
 ペテン師  - 2007/5/14(月) 23:04 -

引用なし
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   泥沼ってください。
キッチリバッチリ首まで浸かって下さい。
期待してます(笑)

【2916】Re:三年之喪
ひと言  如墨委面  - 2007/9/29(土) 9:36 -

引用なし
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   ▼清岡美津夫さん:
>以下、もう元の質問から話がずれまくっているんですが、参考の一つとしてsage投稿で書き込んでおきます。
>
>『礼記』三年問によると、
>
>三年之喪、二十五月而畢、哀痛未盡。
>
>三年の喪は二十五ヶ月で終え、哀痛は未だ尽きない。
>
>ということで、「三年の喪」といっても三十六ヶ月ではなく二十五ヶ月なんですね。

「漢魏の制の服喪期間」関連で『漢書』文帝紀を調べていたら、顔師古注([#2915]参照)に「三年之喪,其實二十七月」とあるのに気付きました。

それで思い出したのですが、以前、@nifty の歴史フォーラム(今はなくなっています)に、一時、金文京先生が参加されたことがあり、そこで、先生に

「大祥(二年目の命日、25ヶ月)で喪は終わりですが、その二ヶ月後に喪服を脱ぐ(示+覃)という儀式があるので、通常27ヶ月としています。」

と教わったことがあります。

従って「三年の喪」は二十七ヶ月ということになります。
ご参考まで。

                 如墨委面

【2928】Re:三年之喪
 池田雅典  - 2007/10/16(火) 18:33 -

引用なし
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   ▼如墨委面さん:
さらに話ずらしますけど、三年喪には25ヶ月説と27ヶ月説の二つがあり、時代によって正統とされる解釈は異なります。

『春秋公羊伝』に「三年の喪、実は二十五月なるを以てなり」とありまして、漢は公羊伝の規制力が強い時代ですので、公羊が浸透し始める前漢武帝あたりからは基本的に25ヶ月説であったかと思われます。後漢でも、『白虎通』喪服編でやはり三年喪を25ヶ月と規定しています。

 一方、三年喪というのは『儀禮』士虞禮に具体例があるんですが、そこには「期而小祥〜又期而大祥〜中月而(示+覃)」とあり、死んでから1年後(数え13ヶ月目)に小祥、2年後(25ヶ月目)に大祥の禮があり、大祥が済んだら服喪は終わりと考えられていたんですけども、鄭玄に至ってこのあとの文章を
「月を中(へだ)てて(示+覃)す」
と読み、公羊やら禮記やらが言うように25ヶ月で服喪は終わりだけども、喪服を脱ぐのは月をはさんで27ヶ月目の(示+覃)の禮を行ってから、という新解釈を出しまして、これから27ヶ月説が生まれます。
金文京先生がおっしゃたというのはこのことですね。
 鄭玄の禮解釈は多くの経学者に受け入れられたので、鄭玄以降は27ヶ月説が主流になります。逆に言うと、それまでは25ヶ月説がデフォなんです。後漢末だとこの25ヶ月説と27ヶ月説が入り乱れてる時期なので、その人の所属が鄭玄学派なのかそうでないのかにより、服喪期間も違うのでしょう。袁紹は鄭玄やその親友の盧植を抱え込んでますので、鄭玄学派なのかもしれません。

 実際、やはり旧来の25ヶ月説が正しいと主張したのが荊州学派の王粛でして、
「月に中(あた)りて(示+覃)す」
と読めば、大祥を行うのと同じ月に当たって(示+覃)を行い服を脱ぐんだから問題無い、と鄭玄説に反論しています。王粛の娘は司馬昭に嫁いで司馬炎生んでたりすることもあって、晋では王粛説を採って三年喪は25ヶ月です。

 なお、魏がどっちなのかちと調べが足りずよくわからないんですが、後世結局は鄭玄説が優勢になりまして、唐では27ヶ月です。顔師古が三年喪を27ヶ月というのもこのためですが、鄭玄以前の時代を記述する『漢書』に27ヶ月と注すのは明らかに誤りだったりします。

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