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こんにちは。
軍師についてですが、そもそも歴史的に実在しません。日本でいう忍者と同じく創作上の存在で、主君の側近くに仕えて策略を献じるというイメージは、おそらく近世日本の講談物語のなかで完成したものではないでしょうか。
「軍師」という字句は歴史書にも見えていますが、それは上記講談調の軍師とは全く別物で、参謀的助言もしないではないですが、むしろ社会的地位のようなものだと思います。
中国では父、君、師の三人をきわめて強く尊重し、肉親でない君や師に対しては擬似的な父子関係を結びます。師というのは自分に教えを授けてくれる存在を指しますが、君主には仕えるべき相手が一人少ないせいか、それだけ余計に師への尊敬が強固です。聖王が山野に隠棲する賢者を訪ねて礼を尽くすというのが理想化された君臣像で、これは中国の講談で語られるばかりではなく、実在の君主もそのイメージに自己を重ね合わせるように行動していました。たとえば劉備が諸葛亮を三たび訪ねたり、孫策が張紘を訪ねたりしたのがその実例です。師は世俗の権勢や富貴に興味を持たず、目先の欲望に囚われた凡人の想像をはるかに超えた思考をしています。そのため、彼らの助言が君主にとっては政治的に決定的な意味を持つということがしばしばあります。彼らは人格者であり、かつ哲人でもあります。
軍師は、そうした人物が、将軍としての君主から与えられる軍官のようです(君主が皇帝ならば宰相になる)。官といっても特定の職務は割り当てられてはいません。なにせ世俗のシステムから独立しているので、軍事上の助言を行うこともあるし、逆に目に見えるような活動を全くせず、ただ席を埋めているだけということもあります。それでも君主が父親同然に尊敬する人物なので、ほかの軍籍が文句を言うことはできません。
なお兵法書のなかには、吉凶を占うのが軍師であると書くものもあります。
さて作戦立案および決定の方ですが、こちらはどうも従軍諸将(事務方含む)による合議に基づいて主将が決断を下すようです。このころはまだ職掌を分化してないみたいですね。
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