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▼むじおさん:
>チョウセンって実在したのですか?呂布暗殺には単に王允の配下の者がやったとききました。それではチョウセンのでてくるばしょがないような。もしかしたら演義の中の人物なのかなって思って初心者ながら質問させていただきました。どなたかよろしくお願いします
初めまして。
三国志ではそういう名前の人物は出てこなくて、三国演義の「第八回:王司徒巧使連環計、董太師大鬧鳳儀亭」でその名が見られるようになります。
ちなみに「貂蝉」は元々、人名じゃなく「貂尾と蝉羽。冠飾に用いる。」(字通CD-ROM版より)という意味の名詞なので、史書でたくさんその文字を見ることができます。
貂蝉が出てくる文献は一番、古いので、三国演義ぐらいしか私は知らないんですけど、実際、どうなんでしょうね(例えば講談に出てきていたとか。諸葛亮の白羽扇の例もありますし→[#T1452])
あと三国志の呂布伝に
「卓常使布守中閤、布與卓侍婢私通、恐事發覺、心不自安。」
訳:董卓は常に呂布に中閤(宮中?)を守らせていて、呂布は董卓の侍女と密通し、発覚する事をおそれ、内心、不安がっていた。
という記述があって、この侍婢(侍女)が貂蝉のモデルかなぁ、なんて思いました。ただ、別にこの侍婢は王允と関係なさそうだし、董卓と呂布を仲違いさせようという意図はこの記述だけでもみえないですし、考えすぎですかね。
ちなみに董卓暗殺は呂布が手がけてますよ。
三国志の呂布伝に
「布遂許之、手刃刺卓。」
訳:呂布はついにこれ(暗殺計画)を許し、刃物を手にし、董卓を刺した。
ってありますし。
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