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諸葛瑾が夷陵の戦いに先立ち、戦争回避のため劉備に送った書状に関しての質問で
す。
裴松之に「お話にならない内容で、このような文言を入れた陳寿は文字を無駄にした」とこき下ろされたものです。自身の仕える呉を貶めることなく停戦交渉をしようと思えば、そう信じていたかどうかに関わらず、そう書くしかなかったのは当然ですが。(この内容を本気で信じて書いていたとしたら、諸葛瑾という人物は人格的に相当碌でもない人物となるので、かなり苦しんで書いたものとは思います。)
皆様に伺いたいのは、文中で「陛 下 以 關 羽 之 親 何 如 先 帝 ?」とある先帝とは誰を指すのかということです。
ちくま訳では「孫策」となっていましたが、前後の脈絡を考えると「孫権」ではないかとおもいましたので。
既にかなりの方々が指摘されていますが、
1)呉書は他のニ書と異なり韋曜の呉書を丸写したのが大部分残る可能性が非常に高いこと。
2)それにあいまって、魏を正統、蜀を準正統として執筆した陳寿の執筆方針と異なり、「孫権が皇帝になったつもりで(=正統として)書かれている」箇所が多いこと。
諸葛瑾の書状が書かれたときに孫権は当極していないことから、(仮にこの先帝が孫策を追号したものとしても)2)の影響がかなり見受けられます。
諸葛瑾伝が韋曜呉書の丸写しであったとするなら、韋曜がこれを執筆した時期にもよりますが(韋曜の活動時期は孫権から孫皓まで被ります)、孫権を挿すのではないかと思います。
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