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▼紅砂さん:
> むしろ、曹丕の方が「覇者」と呼ぶにふさわしい気がします。
>
> どう思いますか?
曹操が覇者か曹丕が覇者ということですけど、軍配は曹操に挙がるのではないでしょうか。
ただし、完全な覇者というのではなく、あくまでも『中原の覇者』もしくは『中央の覇者』と限定してますけど。
当時の益州や呉の地域は未開発なエリアで辺境の地域に分類されていたと思われますので、前漢・後漢の都およびその周辺の大都市と要所を押さえて、献帝まで擁した曹操が覇者として考えるのが相応しいと思われます。
曹丕はというと、曹操の築き上げた礎の上に乗って権力の行使をおこない、皇帝となっただけの人物です(言い方悪いけど)領土も人材もそっくりそのまま譲り受けただけで、曹操のように自ら並み居る列強と対峙したわけでもなく、辺境に追いやられた劉備と孫権率いる2者だけを方面軍に睨みを効かせていれば良いだけの状況で考えればどっちが覇者というに相応しいか…と当方は思います。
『曹氏の天下』を目指していたと考えるのは官渡の戦い以降に袁家を滅ぼして以降の事でしょう。
それらのことが加速するのが216年の魏王となった事項ではないかと…
この後、不満分子の吉本・耿紀・金禕たちのクーデター事件であり、魏風の事件が勃発するので…
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