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はじめまして、むじんです。
お訊ねの趙雲の年齢ですが、残念ながら正史『三国志』には記載がありません。
『三国志演義』ではどう書いているかと思って調べると、第九十二回に齢七十とありました(百二十回本)。ここの書き方では七十歳をいくつか過ぎているようにも読めますが、ひとまず七十歳ちょうどだとすると、建興五年(二二七)の初回の北伐時ですから、逆算すると延熹元年(一五八)生まれということになります(数え年なので一つ多く数える)。
ところが困ったことに、第七十三回では延熹五年(一六二)生まれの関羽が「子龍はわが弟」と言ってるんです。いくら人品すぐれた関羽といえども、年上の人物を弟と呼ぶことはできないでしょうから、七十三回か九十二回かのどちらかが間違っていることになります。
正史でも二十九歳で亡くなったリョウ統を四十九歳と書くなど、文字一つくらいの間違いはたびたび見られますから、兄と弟を間違えることが考えにくい以上、第九十二回の齢七十というのが齢六十の書き間違いである可能性が考えられます。さらに十歳若く見積もると、公孫サンとの出会いが十四・五歳のときのことになってしまうので、趙雲が一族をひっぱる地位にいたことを考えると多少無理がありますね。
なお裴松之が引用する『趙雲別伝』によると、趙雲は劉備と同じベッドでねむっていたとありますから、これは関羽・張飛と同じ義兄弟の間柄ということになります。もし趙雲が年上なら劉備にとっては兄にあたり、関羽以上の待遇をすべきですが、史書でも小説でも趙雲はもっと低い位置にありました。
それらを総合的に考えて、趙雲は建寧元年(一六八)生まれ、張飛と同い年という捉え方でいいのではないでしょうか。
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