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▼伊藤玲子さん:
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>1.最初に出てくる書は、史記ですか?
『史記』では「天子璽」という名称で何カ所か出てきます。「傳國璽」(伝国の璽)の初出は『漢書』の元后伝。「玉璽」の初出は『三国志』だと思います。検索でかかる範囲なので多分…ですけど。名称は違いますが、同じものと考えて下さい。
>2.鳳凰の巣の中の石から作ったとする最初の書はなんですか?
『後漢書』光武帝紀の注に引く『玉璽譜』には、「傳國璽は秦の始皇が初めて天下を定めたときに刻んだものである。その玉は藍田の山から出たもの。丞相の李斯が書したその文は『受命于天、既壽永昌』という」とあります。鳳凰の巣がどうとかは書いてませんね。ということでこれは分かりかねます。
>3.且康という銘だというのは漢官儀らしいのですが、こちらが古いですか。
『三国志』呉書孫破虜討逆伝の裴注に応劭『漢官儀』を引いて「受命于天、既壽且康」の銘を紹介していますね。後述の韋昭『呉書』より古い文献を引いているのは確かです。古いから正しいとか確かだとは限りませんが。
>4.永昌という銘だというのは、呉書が最初ですか。
「受命于天、既壽永昌」は、韋昭『呉書』(陳寿の『呉書』ではありませんのでご注意を)が最初ですね。これが後世いちばんポピュラーな文面です。
ちなみに混乱ついでに言いますと、「受天之命、皇帝壽昌」(『晋書』穆帝紀)とか「昊天之命、皇帝壽昌」(『晋陽秋』)とかいう文も伝わっているんですよ。
>5.その間に複製が作られた可能性はありますか。
その間とはどの間のことを指しているのか分かりませんが、「可能性」は否定できません。書かれていないこと、伝わっていないことはあるでしょうから。
といいますか、秦代のオリジナルはどっかで失われて、清代あたりまで伝わってるモノはどっかの時代の模造である可能性が極めて高いですからね。
>6.和氏の璧が由来とするのは、小説の三国演義からで良いですか。
『史記正義』に崔浩の言を引いて「李斯が和璧を磨いてこれを作った。漢の諸帝が代々伝えてこれを身につけた。『傳國璽』と謂う」とありますので、『三国演義』以前からそういう伝えがあったと思います。
>7.その他、お教え下さい。
蔡ヨウの「獨斷」に「皇帝の六璽は、みな玉製でリ虎の紐をつけており、文を『皇帝行璽』、『皇帝之璽』、『皇帝信璽』、『天子行璽』、『天子之璽』、『天子信璽』という。みな武都の紫泥でこれを封じている」とありますね。
『通典』嘉禮八に「漢の高帝(劉邦)が入関したときに、秦の始皇の白玉璽を得て、傳國璽といい、斬蛇剣とともに乗輿の宝とした」とあります。斬蛇剣は晋代に焼失してしまいましたが、傳國璽は後世に伝わっていったことになってます……ね。
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