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追記です。
そういえば、三国志呉書周瑜伝に孫破虜討逆伝と似たような記述があって
初、孫堅興義兵討董卓、徙家於舒。堅子策與瑜同年、獨相友善、瑜推道南大宅以舍策、升堂拜母、有無通共。
つまり、昔、孫堅が義兵を興し董卓をうち、舒に家を移した。孫堅の子の孫策と周瑜は同い年で、独り友として助け合い、周瑜は道の南の大宅を宿舎として孫策にすすめ、(周瑜は)堂に登り(孫策の)母をもうでるほど、経験も無経験も一緒だった。とあります。
孫破虜討逆伝より舒への引っ越しの経緯等が詳しくなっていますが、孫策が舒へ引っ越したのは同じ190年ごろですね。
▼染谷さん:
>この場合、どちらを参考にしても特に間違いではないということですよね?
>185年以降と考えた場合は、色々想像できると。
舒への引っ越しは190年ごろになりそうですが、孫策と周瑜とに交流がいつ始まったかは(こっちの方ですよね?)、おっしゃるとおりどちらを参考にしても問題なさそうですね。
江表伝によると185年以降(…とすごい長い期間で曖昧ですが・汗)になりますし。
余談ですけど、そういった想像が創作に繋がって行くんですよね。
http://cte.main.jp/sunshi/w/w020728.html
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