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▼孫ぽこさん:
>呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンw
>この手の話に必ず釣られる孫ぽこです。
返事ありがとうございます。
名前の通り孫氏に詳しい方なんでしょうか?
自分で考えて投稿しているもののあまりにも突拍子もないことかなって思っていましたので少しホッとしました。
>孫権が皇帝となって以後の孫家宗族の問題はまた別次元かもしれません。二宮の変も宗族の仲の悪さが原因というより、豪族と皇帝権力、あるいは孫権の皇后・皇太子に対する意識の問題のように見えます。
孫権が皇帝になって以後というより死後なんです。
孫権の直系は上の四人が病死や自殺などでいなくなり残り3人ですよね。
孫亮は16歳で退位。孫休は病死。で生き残ったのは孫奮ですけど270年に息子ともども誅殺されていますよね。
上の4人が死んだ時点で兄弟の年長者がいないので親族で保護してくれる人がいません。
孫和と孫覇の子供たちはは父親の代から仲が悪く息子もそれを引き継いでいるようなひともいますけど…(アホですね)
またトウ胤や呂キョや諸葛カクなどの主導権争いに巻き込まれた人たちもいますが孫静や孫憤のみならず父親孫堅の子供達も病死は別として自殺・誅殺が多くどの孫家グループも虫の息みたいな感じになっているのです。
孫皓の時などほぼ孫権の直系が息絶えているの様ですから…
孫皓は兄弟も殺しているし。
豪族の主導権争いもちらほらあるように見受けられますが各グループの年長者が息絶えているような感じなので否応なしに親しい豪族の力を借りて対抗しようとしたのではないかと思うのですが…如何なもんでしょう?
ま〜〜同じように第2の諸葛カクや孫峻が出来るだけの様な気がしますけど
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