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清岡さんご指摘のように、諸葛亮が持っていた「白羽扇」の直接的な淵源は「裴子語林」に見える記事です。ただ、この書籍は散逸してしまったので、後代の類書(百科事典)に引用される形でしか残っていません。
これらを確認してみると、「白羽扇」がほとんどですが、中には「毛扇」とするものもあります。以下を参考にしてください。
諸葛武侯與司馬宣王在渭濱、將戰、宣王戎服莅事、使人視武侯、素輿、葛巾、持白毛扇、指麾三軍、皆隨其進止。宣王聞而歎曰、可謂名士。『太平御覧』巻307麾兵引「語林」
諸葛武侯與宣王在渭濱、將戰、武侯乘素輿、葛巾、白羽扇、指麾三軍、三軍皆隨其進止。『太平御覧』巻702扇引「語林」
諸葛武侯與宣王在渭濱、將戰、宣王戎服[くさかんむりに。]事、使人視武侯、乗素輿、葛巾、毛扇、指麾三軍、皆隨其進止。宣王聞而歎曰、可謂名士矣。『太平御覧』巻687巾引「蜀書」
武侯與宣王在渭濱、將戰、宣王戎服莅事、使人視武侯、乗素輿、葛巾、持白羽扇、指麾三軍、皆隨其進止。宣皇聞而歎曰、可謂名士。『太平御覧』巻774輿引「語林」
武侯與宣王在渭濱、將戰、宣王戎服[くさかんむりに。]事、使人視武侯、秉素輿、持白羽扇、指麾三軍、並隨其進止。『北堂書鈔』巻118攻戰引「語林」
諸葛武侯與宣王在渭濱、將戰、武侯乗素車、葛巾、持白羽扇、指麾三軍、衆軍皆隨其進止。『北堂書鈔』巻134扇引「語林」
武侯與宣王在渭濱、將戰、宣王戎服[くさかんむりに。]事、使人視武侯、素輿、葛巾、持白羽扇、指麾三軍、皆隨其進止。宣王聞而嘆曰、可謂名士。『北堂書鈔』巻140輿引「語林」
諸葛武侯與宣皇在渭濱、將戰、宣皇戎服莅事、使人視武侯、乘素輿、葛巾、毛扇、指麾三軍、皆隨其進止。宣皇聞而歎曰、可謂名士矣。『藝文類聚』巻67巾帽引「語林」
諸葛武侯持白羽扇、指麾三軍、黄竹具敍事。『初學記』巻25扇引「裴啓語林」
諸葛武侯與晋宣帝戰於渭濱、乘素輿、著葛巾、捉白羽扇、指揮三軍。『事類賦注』巻14扇引「語林」
これを見ると、唐代の虞世南『北堂書鈔』は「白羽扇」、『初學記』も「白羽扇」で統一されています。しかし同じく唐代の『藝文類聚』は「毛扇」であり、宋の『太平御覽』は「白羽扇」が2つ、「白毛扇」が1つ、「毛扇」が1つとなっています。同じく宋の『事類賦注』では「白羽扇」です。
「三国志考証学」でもこのことから論を展開しているのだと思います。未見なので論旨や結論は分かりませんが。私見を言えば、やはり「白羽扇」が正しく、「毛扇」というのは転写中の誤りで生じたのではないかと考えます(白羽扇とするテキストが多いこと、北堂書鈔では項目も白羽扇となっていること、晋や劉宋代に白羽扇讃、羽扇賦など「羽扇」をタイトルにした詩文があって「毛扇」はないことなどから)。以上ご参考までに。
>清岡さん
自分の手持ちのテキストでは、清岡さん引用の文は見つけられなかったのですが、出典を教えていただければ幸いです。
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