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どうも、真壁と申します。
確か、光栄(現・コーエー)が出版していた、『三国志の真実』というような
主旨の本だったと思うのですが、それには「張飛知将説」みたいなものが載って
いたように記憶しています(かなりイイ加減な情報ですみません)。
馬鹿な関羽に対して、厳顔を丁寧に遇したりした張飛は、クールな知将だった
のではないか?というようなことが書いてありました。
面白い本だったのですが、当時は高校生ぐらいだったのでお金がなく、泣く泣く
購入を見送り、立ち読みですませました。今思えば、非常に残念なことをしました。
小説なら、北方謙三『三国志』では、張飛は、「主君劉備を立てるために、
わざと粗暴に振る舞う」というような、今までの「馬鹿張飛」とは、一線を
画す存在でした。
私個人の考えでは、『演義系』の馬鹿ぶりはいきすぎにしても、曹豹を大事な
時に殺したり、秦宜録を「意気地なし」となじって後に叩き殺したり、十三、四の
娘をさらって妻にしたりするあたり、粗暴ではあっても「知将」というイメージには
そぐわないような気がしてます。もちろん、それは若い頃の話であって、呂蒙の
ように、成長した可能性もあります。
そういえば、最近は、「張飛美形説」をよく見掛けるような気がします。
「張飛の娘は、劉禅の後宮に入って後に皇后になったりしているので、
相当に美しかったはず。張飛の娘が美しかったということは、親の張飛も、
世間でよく言われる虎ひげのむさい男などではなく、美形だったのではないか?」
というのが、その説の骨子です。
一理も二理もありますが、張飛の妻が、張飛がさらって妻にしたくなるほどの
美少女だったと思われるので、単に母親似だった可能性もあります。
それにしても、張飛が夏侯氏の娘をさらって妻にするくだりは、かなり
物語的に美味しいシーンだと思うのですが、それを描いた作家・漫画家の話は
あまり聞かないのが不思議です。
で、張飛の世渡りの話ですが、劉巴の件といい、娘を後宮に入れた件といい、
厳顔を丁寧に遇して名声を上げたり、と、世渡りはかなり巧妙だったように
思います。その点では、おっしゃられるように、関羽などとは比較にならない
ような気がします。
ジョージ真壁
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