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▼ひろおさん:
>鄭渾の甥、鄭袤の伝を『晋書』で読んでいます。
>鄭袤が司馬昭から受け取った書簡の意味と、鄭黙と司馬炎の会話の意味が分かりません。どなたか、教えて下さい…
>
>原文は「鄭袤伝」で、子の鄭黙について書いてあるところです。
>文帝与袤書曰、小児得厠賢子之流、愧有竊賢之累(後略)
>武帝(中略)謂黙曰(中略)昔州里挙卿相輩、常愧有累清談(後略)
>
>司馬昭が鄭袤に何を言いたかったのか、司馬炎と鄭黙は何を話しているのか、ご指導下さい。「愧」とか「累」など、共通する言葉を使っているので、司馬炎が司馬昭の書簡を踏まえて、何か言いたいのだと思いますが…
>宜しくお願いします。
こんにちわ。
このまま、流れるのは惜しいですので、誰か詳しい人が回答してくださるまで場つなぎ的に、答えではないのですが以下に書いておきますね。
おっしゃっている箇所は下記のところですね。
・『晉書』卷四十四 列傳第十四 鄭袤 子默
初、帝以貴公子當品、郷里莫敢與為輩、求之州内、于是十二郡中正僉共舉默。文帝與袤書曰:「小兒得廁賢子之流、愧有竊賢之累。」及武帝出祀南郊、詔使默驂乘、因謂默曰:「卿知何以得驂乘乎?昔州里舉卿相輩、常愧有累清談。」遂問政事、對曰:「勸穡務農、為國之基。選人得才、濟世之道。居官久職、政事之宜。明慎黜陟、勸戒之由。崇尚儒素、化導之本。如此而已矣。」帝善之。
また同じことが、下記のように王隱『晉書』にもあるようですね。
・『藝文類聚』卷第四十八 職官部四 散騎常侍
王隱晉書曰.鄭默為散騎常侍.世祖祀南郊.侍中已陪乘.詔曰.使鄭常侍默.曰.卿之何以得參乘.昔州内舉卿相輩.常愧有累清談.
ここでの「輩」は、武帝(司馬炎)に対する「輩」でしょうか。
文帝(司馬昭)が言っている「小兒」とは武帝(司馬炎)のことで、「賢子」とは鄭默のことで、「廁」とは、かわや…ではなく、混じるといった意味でしょうか。「累」はそのまま重ねる(わずらわす)意で、愧は恥じる意味でしょうか。
武帝(司馬炎)が言っている「卿」は二人称で鄭默のことですね。とすると「常愧有累清談」あたりの感覚がどうもこの時代の背景を知らない私には理解しにくく、補足情報が欲しいところです。
それと、ここの掲示板には「三国志」と銘打たれており、もしかすると晋書に詳しい人の目に留まっていないかもしれません。
もしかすると下記に示すサイト「解體晉書」の掲示板(訳に関するスレッドもありますので)で話を振ってみると良いのかもしれませんね。
・解體晉書
http://jinshu.fc2web.com/
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