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▼ケータさん:
>【○○侯って何?】
>張コウが曹操陣に降った直後に「都亭侯に封じられる」という記述がありますよね。
>その後、曹丕の即位に伴って「都郷侯」「鄚侯」になりますが、これって何の看板なんでしょうか。「侯」というと、爵位かなんかのような気がしますが、皇帝でもない曹操や曹丕(鄚侯に封じた時には帝位に就いてますが)が、家臣(「家臣」という言い方も違う気がします)に勝手に爵位を授けることができたのか?…と考えると釈然としません。曹操や曹丕が皇帝に「この人に爵位をあげてください」と上奏して詔勅をもらう、ということになるの……かな???
>
>【○○戸を領する?】
>街亭での勝利後、「千戸追加されて以下略」という記述があります。
>これは、諸将はみな「自分の領地」とされるものを有していたと判断していいのでしょうか。そうなると、なんとなく頭の中には西洋風の封建制度が浮かんでしまうのですが、きっとそうではないんですよね。
>自分の中にある「三国志のイメージ」に依ると、土地における諸々の権利を有しているのは牧とか刺史のような気がするのですが、そこに更に「領主」のような人物がいるのであれば、「民衆は多重に支配されていた」ということになるのですか?
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>【○○将軍と○○侯】
>……というのは、同列に考えてはいけないもの、ですよね?
>いろいろ読んでいると、「なんとやら将軍に昇格した」「どこぞの侯に封ぜられた」というのが同時に出てくるので、「…で、この時はなんのお仕事してる人?」と混乱してしまうのです。
[#T488]
[#T2346]
↑そういえば、侯に関してはこれら二つのツリーが参考になるかと思いリンクはっておきます。
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