三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
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【3053】赤兎馬について 伊藤玲子 2008/2/11(月) 7:29
┣ 【3054】Re:赤兎馬について 清岡美津夫 2008/2/11(月) 13:02 雑談
┃┗ 【3055】Re:赤兎馬について 伊藤玲子 2008/2/11(月) 16:57
┃┗ 【3056】兎と兔 清岡美津夫 2008/2/12(火) 12:40
┃┗ 【3058】Re:兎と兔 伊藤玲子 2008/2/13(水) 10:42
┣ 【3062】元刊雜劇 清岡美津夫 2008/2/15(金) 12:06 多分…
┃┗ 【3069】Re:元刊雜劇 伊藤玲子 2008/2/17(日) 7:36
┣ 【3064】Re:赤兎馬について GEO 2008/2/16(土) 15:15
┃┗ 【3068】Re:赤兎馬について 伊藤玲子 2008/2/17(日) 7:23
┗ 【3070】『藝文類聚』に引かれる『瑞應圖』 清岡美津夫 2008/2/21(木) 22:16 ひと言
┣ 【3072】Re:『藝文類聚』に引かれる『瑞應圖』 NAGAICHI Naoto 2008/2/23(土) 1:27
┃┣ 【3074】Re:『藝文類聚』に引かれる『瑞應圖』 伊藤玲子 2008/2/23(土) 14:10
┃┗ 【3075】Re:『藝文類聚』に引かれる『瑞應圖』 清岡美津夫 2008/2/24(日) 11:51
┗ 【3073】Re:『藝文類聚』に引かれる『瑞應圖』 伊藤玲子 2008/2/23(土) 14:08

【3053】赤兎馬について
 伊藤玲子 E-MAIL  - 2008/2/11(月) 7:29 -

引用なし
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   赤兎馬について質問があります。

1.赤兎馬は、正史では最初から呂布のものですか?
2.丁原のものになったのは、三国志平話(小説)からですか?
 関羽のものになったお話は三国演義(小説)からですか?
3.当時は、ほとんどがモウコノウマのような小型馬だったというのは、本当ですか? いつから、中国では大型馬ですか?
4.赤兎馬は赤毛ですか?
5.赤兎馬が汗血馬ではないかといった最初の人(書)は誰(何)ですか?
6.汗血馬なら赤毛より白毛のように思いますが、どうですか?
7.汗血馬を中国へ入れた最初は武帝の時代の李広利(傾国の美女李夫人のお兄さん)でよいですか。
8.汗血馬とサラブレッドとの関係をお教えください。
9.ついでのようですが、項羽の騅(すい)はあしげ(白毛)ですか?
10.黒毛という話はいつからですか(どの小説)?
11.黒毛という話は、烏江で死んだ騅で、烏騅、烏=カラスは黒いので、黒いあしげ(白っぽい馬)というへんな使われ方で、黒い馬と誤解されたという解釈でよいですか?
12.騅は汗血馬でよろしいですか?
 よろしくお願いいたします。

【3054】Re:赤兎馬について
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2008/2/11(月) 13:02 -

引用なし
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    こんにちわ。
 以下、本題とは無関係な雑談となります。すみません。

 単に質問を箇条書きで書き込むことは、あれこれ調べたり記憶の確認をとったりして答え(応え)を書き込むより簡単だと思います。
 できれば、少し労力を足し、質問の元になることをどこでどのように知ったかを書き加えて下されば、答える(応える)側にとってより調べやすく、引いてはより書き込みやすくなり、応答が返ってくる可能性が広がることかと思います。
(もっと言えば私見では、自分でどこまで調べたかや目的は何かを書けば応答が返ってくる可能性が広がるかと思います)

 質問の元になることを明示することは応答する側にとって調べる手掛かりになりますし、また二度手間を防ぐことができます。過去の書き込みにおいて私が「ここの鳳凰の巣という下りはどこで知ったのか少し気になったのですが、『三国演義』であっているでしょうか?」[#3028]と書いたのもその現れですし、GEOさんが「「鳳凰の巣の中から出てきた」というのも、どこから得た情報なのか書いて欲しかったかなぁとも思います」[#3033]と書いていらしたのもおそらくそういう考えなのでしょうね。
 例えば、「周瑜の諡号」[#T2890]のツリーではWikipediaで知ったと書かれていますので、少なくともWikipediaにおけるその項目について応えることができますし、Wikipediaで調べたことを答えに使うと行った二度手間も防がれています。
 逆に、どこでどのように知ったか書き込まなければ、「チョウセンの為に戦い劉備は天命どうなるの?」[#T2584]のツリーのように、調べる糸口すらないので、答える側にとってはその確認だけに労力の大半が割かれています。
 さらに極端な例では、質問者側の情報をまったく開示せずに書き込めば、「甘寧」[#T2568]のツリーのようにレスが返ってきたとしてもネタでしかないといったことにもなりかねません

 またここの掲示板には検索機能があるため、(すでに検索されておられるかもしれませんが)その検索結果(=過去、この掲示板で議論されたこと)を踏まえた上で質問されると、スムーズにことが運ぶと思います。
 例えば「赤兎」で検索すれば([#?赤兎])、出てきた結果から、「Re:呂布赤兔全文」[#2423]という書き込みに辿り着き、そこに正史およびその注にでてくる赤兎のことが書かれており、1の質問に対応すると思います。

【3055】Re:赤兎馬について
 伊藤玲子 E-MAIL  - 2008/2/11(月) 16:57 -

引用なし
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   清岡美津夫さん

ありがとうございます。
赤兎の三国志(正史)「Re:呂布赤兔全文」[#2423]は、以前読ましていただきました。
 それで、最初から呂布さんのものなら、呂布さんは本当は良い人(戦国の世でのことで、徳川家康や豊臣秀吉が認められるようなもので、現代としては完全に良いとはいえないのですが)という考えでよいのか悩み、質問したしだいです。
 一つ一つの質問に私なりの勉強はあるつもりですが、全て書くと膨大(それほど知識は無いのですが)なりますので、ここで、やり取りして真実を知って行きたいと思っています。
 質問をまとめたのですが、一つずつのほうが良かったかもしれません。
 どなたか、何番の質問と指定していただければ、私の少ない知識お伝えします。

 ところで、セキトのトは、兎ですか? 兔ですか?

 今後ともよろしくお願いいたします。

【3056】兎と兔
 清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2008/2/12(火) 12:40 -

引用なし
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   ▼伊藤玲子さん:
> ところで、セキトのトは、兎ですか? 兔ですか?

[#3028]あたりで書こうと思っていたんですが、すっかり忘れてしまっていたんで(汗)、これを機に書いておきますね。

日本語と中国語の繁体字(主に台湾で使われる)との漢字は共通して使われるものも多いですが、微妙に異なる漢字もあります。
異なる漢字で有名なところでは「国」と「國」、「関」と「關」、「体」と「體」、「将」と「將」などがそうです。
「兎」や「兔」もそうでして、「Re:呂布赤兔全文」[#2423]の書き込みは繁体字をそのままコピーしたものです。
「國」、「關」、「兔」、「體」、「將」などの漢字は日本語のページ(Shift-JIS等のコード、例えばここの掲示板)でも表示できるから良いのですが、表示できないものもあります。
例えば、「黄」の繁体字や「貂蝉」の「蝉」の繁体字が表示できません(これらをここの掲示板で使おうとすれば表示できるよう書き替える必要があります)

逆に台湾中央研究院漢籍電子文獻に検索する際はこれらのことを考慮する必要がありますので、お気をつけ下さい、例えば、いくら「貂蝉」と検索しても何も引っかかりません(繁体字では「蝉」の「ツ」の部分が「ロロ」になります)。

・中央研究院漢籍電子文獻
http://www.sinica.edu.tw/~tdbproj/handy1/

【3058】Re:兎と兔
 伊藤玲子 E-MAIL  - 2008/2/13(水) 10:42 -

引用なし
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   清岡美津夫さん

ありがとうございます。
同じなのですね。

【3062】元刊雜劇
多分…  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2008/2/15(金) 12:06 -

引用なし
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   ▼伊藤玲子さん:
>2.丁原のものになったのは、三国志平話(小説)からですか?
> 関羽のものになったお話は三国演義(小説)からですか?

・中央研究院漢籍電子文獻
http://www.sinica.edu.tw/~tdbproj/handy1/

上記、「漢籍電子文獻」の「小説戲曲[既/旦]其他」→「元刊雜劇三十種」→「諸葛亮博望燒屯雜劇」→「第三折」を見ると

[川撥棹] 不枉了喚雲長、更壓著襲車冑斬蔡陽。依著我水壅沙[ノウ]、堰住長江、白河水淹淹越漲。夏侯惇心内慌、敗殘軍腹内忙。
[七弟兄] 放開這廂、[包リ]開那廂、則[イ尓]道怎遮當?海漫漫水勢從天降、馬和人都在蘆花蕩。
[梅花酒] 殷勤捧玉觴、[サツ]謝[イ尓]展土開疆。不爭[イ尓]救駕勤王、後來入廟升堂。仗著青龍刀安社稷、憑著赤兔馬定家邦。想[イ尓]自許昌、自許昌將曹操降、將曹操降見君王、見君王賜朝章、賜朝章坐都堂、坐都堂做丞相、做丞相領親將、領親將上高崗、上高崗見軍將、見軍將不商量、不商量縱絲[キョウ]、縱絲[キョウ]入沙場、入沙場對兒郎、對兒郎氣昂昂。
[收江南] 氣昂昂勒馬刺顔良、刺顔良天下盡談揚。

とあり、そこには「赤兔馬」と見えます。
私は雑劇については詳しくないどころか、文脈や成立背景などまったく知らないのですが(ということでツッコミ、フォロー等、後は他人任せですが)、ここで出てくる「赤兔馬」は関羽が乗る馬として出ているのでしょうか。
「元刊雜劇三十種」ということなので、途中で改変がなければ、元末明初に成立した『三国演義』より先んじていることになるんでしょうね。


また手元にちゃんとした資料がないので確認とれないんですが、同じく元代の雑劇で鄭光祖の『虎牢關三戰呂布』というのがあって、そこの第二折を見ると

某綽金盆在手、一金盆打殺了丁建陽、就乘騎卷毛赤兔馬、後拜董卓為父。

と書かれており丁原を殺してから赤兔馬に乗っているんで、そうとれなくもないですね。

【3064】Re:赤兎馬について
 GEO  - 2008/2/16(土) 15:15 -

引用なし
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   ▼伊藤玲子さん:
>1.赤兎馬は、正史では最初から呂布のものですか?
>3.当時は、ほとんどがモウコノウマのような小型馬だったというのは、本当ですか? いつから、中国では大型馬ですか?
>4.赤兎馬は赤毛ですか?
>5.赤兎馬が汗血馬ではないかといった最初の人(書)は誰(何)ですか?
>6.汗血馬なら赤毛より白毛のように思いますが、どうですか?
>7.汗血馬を中国へ入れた最初は武帝の時代の李広利(傾国の美女李夫人のお兄さん)でよいですか。
>8.汗血馬とサラブレッドとの関係をお教えください。
>9.ついでのようですが、項羽の騅(すい)はあしげ(白毛)ですか?
>10.黒毛という話はいつからですか(どの小説)?
>11.黒毛という話は、烏江で死んだ騅で、烏騅、烏=カラスは黒いので、黒いあしげ(白っぽい馬)というへんな使われ方で、黒い馬と誤解されたという解釈でよいですか?
>12.騅は汗血馬でよろしいですか?

 1.4.5.6について

 まず赤兔については、中央研究院で検索したかぎりでは、以下の二つぐらいしか記述がなさそうです。

 布有良馬曰赤兔                (『三国志』呂布伝)
 (呂布には良馬がいて、名を赤兔といった。)

 時人語曰:「人中有呂布,馬中有赤兔.」
 (当時の人は語っていった。「人中に呂布有り、馬中に赤兔有り。」 
                   (『三国志』呂布伝注引『曹瞞伝』)

 
 7.8.12について

 いわゆる張騫のフェルガナ遠征によって「天馬」の伝説が漢の武帝の耳に入り、これを得るために李広利らの遠征がはじまるわけですが、その際に初めて「汗血」の馬の話が出てくるようです。どうやら「天馬」の子孫が「汗血馬」のようです。また、この「天馬」をはじめ、ユーラシア一帯に名馬の伝説があったようで、詳しくは、石田英一郎先生の「天馬の道」(『桃太郎の母』 講談社学術文庫 2007年に収録)を読んでください。
 騅が汗血馬であるとの記述もないようです。

 9.10.11について

 騅の体毛は、どうやら青と白が入り混じった色のようです。

 正義音隹.顧野王云青白色也.釋畜云:「蒼白雜毛,騅也.」
                      (『史記』項羽本紀注)

【3068】Re:赤兎馬について
 伊藤玲子 E-MAIL  - 2008/2/17(日) 7:23 -

引用なし
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   GEOさん

ありがとうございます。
特に、騅の毛色について、
解決(納得)できた気がします。
今後とも、よろしくお願いいたします。
        伊藤玲子
        
▼GEOさん:
>▼伊藤玲子さん:
>>1.赤兎馬は、正史では最初から呂布のものですか?
>>3.当時は、ほとんどがモウコノウマのような小型馬だったというのは、本当ですか? いつから、中国では大型馬ですか?
>>4.赤兎馬は赤毛ですか?
>>5.赤兎馬が汗血馬ではないかといった最初の人(書)は誰(何)ですか?
>>6.汗血馬なら赤毛より白毛のように思いますが、どうですか?
>>7.汗血馬を中国へ入れた最初は武帝の時代の李広利(傾国の美女李夫人のお兄さん)でよいですか。
>>8.汗血馬とサラブレッドとの関係をお教えください。
>>9.ついでのようですが、項羽の騅(すい)はあしげ(白毛)ですか?
>>10.黒毛という話はいつからですか(どの小説)?
>>11.黒毛という話は、烏江で死んだ騅で、烏騅、烏=カラスは黒いので、黒いあしげ(白っぽい馬)というへんな使われ方で、黒い馬と誤解されたという解釈でよいですか?
>>12.騅は汗血馬でよろしいですか?
>
> 1.4.5.6について
>
> まず赤兔については、中央研究院で検索したかぎりでは、以下の二つぐらいしか記述がなさそうです。
>
> 布有良馬曰赤兔                (『三国志』呂布伝)
> (呂布には良馬がいて、名を赤兔といった。)
>
> 時人語曰:「人中有呂布,馬中有赤兔.」
> (当時の人は語っていった。「人中に呂布有り、馬中に赤兔有り。」 
>                   (『三国志』呂布伝注引『曹瞞伝』)
>
> 
> 7.8.12について
>
> いわゆる張騫のフェルガナ遠征によって「天馬」の伝説が漢の武帝の耳に入り、これを得るために李広利らの遠征がはじまるわけですが、その際に初めて「汗血」の馬の話が出てくるようです。どうやら「天馬」の子孫が「汗血馬」のようです。また、この「天馬」をはじめ、ユーラシア一帯に名馬の伝説があったようで、詳しくは、石田英一郎先生の「天馬の道」(『桃太郎の母』 講談社学術文庫 2007年に収録)を読んでください。
> 騅が汗血馬であるとの記述もないようです。
>
> 9.10.11について
>
> 騅の体毛は、どうやら青と白が入り混じった色のようです。
>
> 正義音隹.顧野王云青白色也.釋畜云:「蒼白雜毛,騅也.」
>                      (『史記』項羽本紀注)

【3069】Re:元刊雜劇
 伊藤玲子 E-MAIL  - 2008/2/17(日) 7:36 -

引用なし
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   清岡美津夫さん

たいへん貴重な資料をお教え戴き、心より感謝しています。
 私は漢字の書が読めませんので、自分では、はっきり判断できないのですが、
元の時代の雑劇の段階で、
1.丁原を殺して赤兔を手に入れた、
(呂布さんが、だんだん悪役になっていく)
2.呂布から関羽に、渡ったというお話が作られていったようですね。
 ありがとうございました。
また、よろしくお願いいたします。

>▼伊藤玲子さん:
>>2.丁原のものになったのは、三国志平話(小説)からですか?
>> 関羽のものになったお話は三国演義(小説)からですか?
>
>・中央研究院漢籍電子文獻
>http://www.sinica.edu.tw/~tdbproj/handy1/
>
>上記、「漢籍電子文獻」の「小説戲曲[既/旦]其他」→「元刊雜劇三十種」→「諸葛亮博望燒屯雜劇」→「第三折」を見ると
>
>[川撥棹] 不枉了喚雲長、更壓著襲車冑斬蔡陽。依著我水壅沙[ノウ]、堰住長江、白河水淹淹越漲。夏侯惇心内慌、敗殘軍腹内忙。
>[七弟兄] 放開這廂、[包リ]開那廂、則[イ尓]道怎遮當?海漫漫水勢從天降、馬和人都在蘆花蕩。
>[梅花酒] 殷勤捧玉觴、[サツ]謝[イ尓]展土開疆。不爭[イ尓]救駕勤王、後來入廟升堂。仗著青龍刀安社稷、憑著赤兔馬定家邦。想[イ尓]自許昌、自許昌將曹操降、將曹操降見君王、見君王賜朝章、賜朝章坐都堂、坐都堂做丞相、做丞相領親將、領親將上高崗、上高崗見軍將、見軍將不商量、不商量縱絲[キョウ]、縱絲[キョウ]入沙場、入沙場對兒郎、對兒郎氣昂昂。
>[收江南] 氣昂昂勒馬刺顔良、刺顔良天下盡談揚。
>
>とあり、そこには「赤兔馬」と見えます。
>私は雑劇については詳しくないどころか、文脈や成立背景などまったく知らないのですが(ということでツッコミ、フォロー等、後は他人任せですが)、ここで出てくる「赤兔馬」は関羽が乗る馬として出ているのでしょうか。
>「元刊雜劇三十種」ということなので、途中で改変がなければ、元末明初に成立した『三国演義』より先んじていることになるんでしょうね。
>
>
>また手元にちゃんとした資料がないので確認とれないんですが、同じく元代の雑劇で鄭光祖の『虎牢關三戰呂布』というのがあって、そこの第二折を見ると
>
>某綽金盆在手、一金盆打殺了丁建陽、就乘騎卷毛赤兔馬、後拜董卓為父。
>
>と書かれており丁原を殺してから赤兔馬に乗っているんで、そうとれなくもないですね。

【3070】『藝文類聚』に引かれる『瑞應圖』
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2008/2/21(木) 22:16 -

引用なし
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   ほとんど蛇足ですが、見かけましたのでメモを置いておきますね。

『藝文類聚』卷第九十九 祥瑞部下の「馬」の項目に『瑞應圖』から引く文として


飛兔者.行三萬里.禹治水土.勤勞歴年.救民之害.天應其徳則至.

<清岡による訳>
飛兔というものは、三万里を行き、禹帝が水土を治め、多年、勤め働き民の害を救い、天がその徳に応じすなわち(飛兔が)至る。、


というのがあります。あと同じく『藝文類聚』卷第九十九 祥瑞部下の「兔」の項目で『瑞應圖』から引く文として


赤兔者.王者徳茂則見.

<清岡による訳>
赤兔というものは、王者の徳が盛んになればすなわち表れる。


というのがあります。

『藝文類聚』は唐代のものってことを知っているんですが、ここにある『瑞應圖』ってのはいつのものか私はよく知らないですね。

【3072】Re:『藝文類聚』に引かれる『瑞應圖』
 NAGAICHI Naoto  - 2008/2/23(土) 1:27 -

引用なし
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   ▼清岡美津夫さん:
>『藝文類聚』は唐代のものってことを知っているんですが、ここにある『瑞應圖』ってのはいつのものか私はよく知らないですね。

『隋書』巻三十四志第二十九經籍三では、
『瑞應圖』三巻
『瑞圖讚』二巻(梁有孫柔之『瑞應圖記』、孫氏『瑞應圖贊』各三巻,亡。)

『舊唐書』巻四十七志第二十七經籍下では、
『瑞應圖記』二巻(孫柔之撰。)
『瑞應圖讚』三巻(熊理撰。)

『新唐書』巻五十九志第四十九藝文三では、
孫柔之『瑞應圖記』三巻
熊理『瑞應圖讚』三巻

とあります。おそらく『瑞應圖記』という題が正式で、南朝の梁の孫柔之の撰です。二巻本だったのか三巻本だったのかはっきりしませんが、五行類の書物として分類されていたようです。

『三国志』注も一カ所だけ『呉書』呉主伝第二の赤烏十一年の条で『瑞應圖』を引いています。
裴松之が南朝梁のときの書物を引けるわけがないので、ここはなにかありそうな気がしますね。

【3073】Re:『藝文類聚』に引かれる『瑞應圖』
 伊藤玲子 E-MAIL  - 2008/2/23(土) 14:08 -

引用なし
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   清岡美津夫 さま

貴重な史料ありがとうございます。
    伊藤玲子


▼清岡美津夫さん:
>ほとんど蛇足ですが、見かけましたのでメモを置いておきますね。
>
>『藝文類聚』卷第九十九 祥瑞部下の「馬」の項目に『瑞應圖』から引く文として
>
>
>飛兔者.行三萬里.禹治水土.勤勞歴年.救民之害.天應其徳則至.
>
><清岡による訳>
>飛兔というものは、三万里を行き、禹帝が水土を治め、多年、勤め働き民の害を救い、天がその徳に応じすなわち(飛兔が)至る。、
>
>
>というのがあります。あと同じく『藝文類聚』卷第九十九 祥瑞部下の「兔」の項目で『瑞應圖』から引く文として
>
>
>赤兔者.王者徳茂則見.
>
><清岡による訳>
>赤兔というものは、王者の徳が盛んになればすなわち表れる。
>
>
>というのがあります。
>
>『藝文類聚』は唐代のものってことを知っているんですが、ここにある『瑞應圖』ってのはいつのものか私はよく知らないですね。

【3074】Re:『藝文類聚』に引かれる『瑞應圖』
 伊藤玲子 E-MAIL  - 2008/2/23(土) 14:10 -

引用なし
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   NAGAICHI Naoto さま

貴重な史料ありがとうございます。
清岡様のものと合わせ、勉学の基礎にしたいと思います。
             伊藤玲子

▼NAGAICHI Naotoさん:
>▼清岡美津夫さん:
>>『藝文類聚』は唐代のものってことを知っているんですが、ここにある『瑞應圖』ってのはいつのものか私はよく知らないですね。
>
>『隋書』巻三十四志第二十九經籍三では、
>『瑞應圖』三巻
>『瑞圖讚』二巻(梁有孫柔之『瑞應圖記』、孫氏『瑞應圖贊』各三巻,亡。)
>
>『舊唐書』巻四十七志第二十七經籍下では、
>『瑞應圖記』二巻(孫柔之撰。)
>『瑞應圖讚』三巻(熊理撰。)
>
>『新唐書』巻五十九志第四十九藝文三では、
>孫柔之『瑞應圖記』三巻
>熊理『瑞應圖讚』三巻
>
>とあります。おそらく『瑞應圖記』という題が正式で、南朝の梁の孫柔之の撰です。二巻本だったのか三巻本だったのかはっきりしませんが、五行類の書物として分類されていたようです。
>
>『三国志』注も一カ所だけ『呉書』呉主伝第二の赤烏十一年の条で『瑞應圖』を引いています。
>裴松之が南朝梁のときの書物を引けるわけがないので、ここはなにかありそうな気がしますね。

【3075】Re:『藝文類聚』に引かれる『瑞應圖』
 清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2008/2/24(日) 11:51 -

引用なし
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   ▼NAGAICHI Naotoさん:
>▼清岡美津夫さん:
>>『藝文類聚』は唐代のものってことを知っているんですが、ここにある『瑞應圖』ってのはいつのものか私はよく知らないですね。
>
>『隋書』巻三十四志第二十九經籍三では、
>『瑞應圖』三巻
>『瑞圖讚』二巻(梁有孫柔之『瑞應圖記』、孫氏『瑞應圖贊』各三巻,亡。)
>
>『舊唐書』巻四十七志第二十七經籍下では、
>『瑞應圖記』二巻(孫柔之撰。)
>『瑞應圖讚』三巻(熊理撰。)
>
>『新唐書』巻五十九志第四十九藝文三では、
>孫柔之『瑞應圖記』三巻
>熊理『瑞應圖讚』三巻
>
>とあります。おそらく『瑞應圖記』という題が正式で、南朝の梁の孫柔之の撰です。二巻本だったのか三巻本だったのかはっきりしませんが、五行類の書物として分類されていたようです。
>
>『三国志』注も一カ所だけ『呉書』呉主伝第二の赤烏十一年の条で『瑞應圖』を引いています。
>裴松之が南朝梁のときの書物を引けるわけがないので、ここはなにかありそうな気がしますね。

こんにちわ。
私のメモ書き程度の書き込みにこんなに丁寧にレスを頂けるとは思ってもいませんでした。
どうもありがとうございます。

孫氏『瑞應圖』や熊氏『瑞應圖』という記述を見かけていたんですが、なるほどそういうことだったんですね。
ということは、いずれにしてもこれ両者の記述自体は『三国志』の「赤兔」より昔へ遡る記述ではなさそうですね。

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