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>>子孫が絶えると、死後の自分を祀ってくれる人がいなくなるので、これはとても不吉なこととされていました。
>確かにこれはどこかで読んだ事があります。
>同調は出来ないけど、納得、という感じです。なるほどなー。
子孫が食べ物を供えてくれないと、死後の祖先は食べるものがなくなるそうですよ。
イマイチ、祭壇に置いた食べ物をどうやって死んだ人が食べるのか、想像しにくいのも、現代的な感覚では事実ですけれども。
三国時代くらいになると、死後も人間の意識が残るのかどうか、疑わしくもあったみたいですね。
また曹操は、暴かれない墓はないと言っていますから、子孫が絶えることもむしろ自然の道理のように思っていたのかもしれません。
関係ないですが、チンギス・ハーンとその一族の子孫は現在アフガニスタン以東のアジアに600万人いるそうですよ。
DNAの解析で、何百年前かに共通の男系祖先をもつ600万人の人間がいることが、おぼろげながら分かりつつあるとか。
>ところで奥さん方はお妾さんや正妻さんにヤキモチやいたりはしなかったのでしょうか。
焼餅焼きまくりだと思いますw
>それとも「そういうものだ」と割り切っていたのでしょうかね〜。
「そういうもの」と割り切る他にないですよね。
ただ、ふつうは本妻と妾の間には身分差が大きく開いてましたから、
(でも三国時代までには下克上で、妾が造反するということもよくあったらしいです・・・)
妾は一歩下がり、本妻は妾にやさしく接する、それが理想だとは思います。
理想なんて所詮理想ですが。
複数の奥さんがいるなら、仲良くしてほしいものです(爆)
夫は妾を愛し、妾は正妻を慕い、正妻は夫を常に気遣う・・・
この辺のバランスは非常にむつかしいですね(笑)
というか私にはムリ。第一そんな資産もなければ相手もいないし(笑)
>甄皇后のエピソードとかも、曹丕という男性を巡っての争いというよりも、皇后の座決定戦って感じがしますよね。
政治的に解釈するか、家庭内の感情のもつれとして解釈するか、考え方の違いだと思います。
中国恋愛史なるジャンルがあれば、恋沙汰として取り上げられる記事だと思いますよ。
>そもそもそういう恋愛感情というのはなかったのでしょうか……ってちょっと話がズレましたね。
あるはずです。三国志は政治史なので、恋愛については陳寿の専門ではなかったかもしれませんね。
その割には、痴情のもつれに関する記事も少なくはないと思うけど。
>中国史で女系君主というと西太后くらいしか思いつきませんね……。
>他にも実権を握った女性の話を聞いたことがありますが、
>あまりよい政治はできなかった、みたいなエピソードばかりな気がします。
西太后は君主としての資質は最近高く評価されています。
まあ贅沢三昧な人ではありますが。
清国のヨーロッパ化の時宜を逃し続けた人でもありますし。
また則天武后は、唯一の女性皇帝ですし、その治世は中国史のなかでもすぐれたものとして評価されています。
でも、この人の治世も完全だった訳ではなく、武后の時代に唐の政治は弛緩して、武后の死後50年で唐は一度崩壊します(安史の乱)。
また武后の娘も皇帝に即位する野望があったということで有名です。
>男女差別ではありませんが、特に乱世では女性が主導権を握るってことはまずありえないんじゃないでしょうか。
女性が戦闘の最前線に立つことが、中国では制限されていましたので、乱世でも政権側の皇后ならば強い力をもつ可能性がありますが、
反体制側の武装蜂起が女性を指導者にすることは多くないかもしれません。
でも王莽時代には呂母の乱といって、女性海賊が乱世のきっかけになるんですが。
あと、殷代には、女性の将軍(王妃を兼任)が従軍して1万3千の部隊を統率、西北の異民族と戦ったという記録があります。
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