|
▼陳さん:
面白そうなので話に加えさせてください。
>董卓(これも愚見ですが)なんかは豪族よりはもっとスケールが大きい気がします。
どうも「豪族」という言葉に先入観をもっておられるように思います。
もし、日本史とかで、豪族・国人は大名よりスケールが小さい領主とかいう印象をお持ちなら、ここでは捨てておいてください。
「豪族」というのは、原意は「豪(つよ)い族」なんですよ。
「豪族」の定義も辞書によって表現が違うでしょうけど、
「ごうぞく 豪族
中国で大土地所有者の有力家族を中心に、多くの分家・親族を結合した同族の力で地方に勢力をはったもの
すでに戦国時代末期から発生したと考えられるが、前漢中期ころから農村内部の階層分化に応じて、少数の富裕農民や一部の商人が地主化して豪族となった。前漢の歳入は小農民からの田租や人頭税を中心としたので、小農民保護のために豪族の土地兼併を抑制したが効きめなく、豪族の連合政権的な性格をもつ後漢の下で豪族はいっそう力を蓄えた。三国・南北朝時代の混乱期に彼らは事実上の社会秩序の維持者となり、九品中正法による官吏登用もかえって豪族に利用され、彼らは上級官職を独占して門閥貴族層を形成していった。隋・唐は科挙を実施したが、唐初期は蔭位(無試験推薦)により貴族は高官を独占した。」『世界史事典』(旺文社)
歴史上の定義としてはこんなとこじゃないかと思います。
さて、「群雄」と「豪族」の差ですけど、
「群雄」の意味は、だいたい「多くのすぐれた人々」とか「多くの英雄」とか辞書で出ると思います。
「群雄」とくれば「割拠」と続くのが当たり前なくらいで、ある領域の分裂状態を前提として、そのばらばらな勢力のそれぞれトップクラスの人間の集合でしかありません。
出自も関係ないし、存続期間も関係ない用語ですね。
武士だろうと農民の首領だろうと軍閥の将軍だろうと宦官だろうと、地方勢力として上に立っていれば「群雄」でしょうし、
起兵して一年たたずにぶっ倒れたって、場合によれば「群雄」でしょう。
「豪族」は、歴史的な意味づけがいろいろ加えられてしまっていますが、
何代か続いて強い勢力を維持していることが前提ですし、軍事的割拠状態や政治的分裂に必ずしもこだわらない用語です。
漢・三国・晋・南北朝〜にわたって、社会のバックボーンを支えている人々です。
「群雄」も「豪族」もケース・バイ・ケースで使ったらよい用語だと思いますが、「群雄」がやや英雄史観めいた浮薄な感じを受けるのに対し、
「豪族」はいくぶん社会史的な感じはしますね。これは個人的感触ですが。
隴西の董卓などは豪族としてみるには歴史が浅いですが、袁紹・袁術の汝南袁氏などは後漢の四世三公の家柄ですし、大豪族といわれています。
|
|