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▼陳さん:
> はじめまして。今学校で世界史をやっているわけですが、後漢について「党錮の禁以降は豪族の台頭によって力を弱めた」とありました。
> 然しながら私が三国志を読むあたり、「豪族」よりは「群雄」だと思うのです。例えば、後漢を事実上の滅亡に追いやった董卓(これも愚見ですが)なんかは豪族よりはもっとスケールが大きい気がします。(群雄とか軍閥とか)辞書を読んでも明解な答えを導くには至りませんでした。
> 一体、当時の「豪族」とはどういったものなのでしょうか?
まず、世界史で「党錮の禁以降は豪族の台頭によって力を弱めた」とあるのは、後漢末は豪族(=大土地所有者であり、かつ中央や地方の官界にも進出しているもの)の勢力が大きくなり、党錮の禁で清流派と呼ばれる清廉な儒教官僚の勢力が減退すると、皇帝すら豪族勢力の台頭を抑えきれずに、結局、豪族たちによる地方割拠・政治的跋扈の時代へ突入し、軍事的混乱も招き、後漢は滅亡の道へと、という文脈で語られているものだと思います。
こうした流れを、明確に打ち出したのは川勝義雄先生で、講談社の中国の歴史などに分かりやすく書かれていると思います。それから、細かな意見の差はありますが、歴史のおおまかな流れとしては、今でも支持されていると思います。
川勝氏の言う「豪族」とは、耕作地などを含んだ荘園(私有地)をたくさん持っていて、農奴ないし奴婢とかを養い、地域では経済的に優位にたっている「封建領主」的な性格を多分に持っていた存在です。そのため、バックアップのない自作農が没落してしまった、だから自作農を(いちおうの)基盤としていた後漢が崩壊した、と見るわけです。そして、こうした地方割拠的な豪族の存在・伸長に、中国における「中世」を見出したわけです。
ただ、やりたい放題な豪族ばかりではなく、清流派ややられっぱなしな自作農が「レジスタンス運動」をしたり、「豪族」も結局は経済ばかりでは立ち行かなくなる、ということで、「地域の名声」が不可欠である「貴族」へと変貌していきます。先の経済力・武力だけで地域支配が完結する豪族(封建領主)の社会にならなかった点に、中国オリジナルの「中世」を見出せるとしたわけです。このあたりの基本的な考えは、谷川道雄先生に引き継がれていきます。
まぁ、高校の世界史では、こうした知識は必要とされないでしょうけれど^^;
それと、上の意見に反対な学者ももちろんいますし、現在では「名士」を想定して説明する先生もおられます。
堀敏一先生の『中国通史』講談社学術文庫は、こうした学界の研究の流れを比較的平易に書いているので、学界ではどんな考えがあったのかとか、後漢末〜三国を学者たちはどうとらえてきたのかを一般の方々が知るには、非常にすぐれた本だと思います。本屋の棚ではあまり見ませんが、ご興味のある方はぜひ手にされると啓発するところが多いはずです。(一般書に自説ばかりを披露するよりかは、一般の人にとって有益だと思います^^;)
あと、「豪族」よりは「群雄」ではないか、とのことですが、そう感じられたのはもっともなことかと思います。豪族にもいろいろなレベルがあります。それこそ、地方の県だけで勢力をはっている豪族も入れば、袁紹とか中央朝廷で高官を歴任する全国レベルな?豪族もいるのです。そうお考えになれば、「豪族」という記述でも納得できるのではないか、と思います。
以上、間違いもあるやと思いますが、私見を述べさせていただきました。
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