三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
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【202】曹氏と夏侯氏の関係 さんすけ 2003/7/3(木) 5:41 初心者質問
┗ 【209】Re:曹氏と夏侯氏の関係 清岡美津夫 2003/7/7(月) 10:22 ひと言
┗ 【211】Re:曹氏と夏侯氏の関係 さんすけ 2003/7/8(火) 0:57
┣ 【220】ただの挨拶、もしくは予約です(笑) 清岡美津夫 2003/7/10(木) 9:59 ひと言
┣ 【225】古墳群発掘調査 清岡美津夫 2003/7/13(日) 17:46 雑談
┃┗ 【240】Re:古墳群発掘調査 さんすけ 2003/7/18(金) 10:17 追記
┗ 【244】宦官と州郡の関係。 清岡美津夫 2003/7/20(日) 10:22 雑談

【202】曹氏と夏侯氏の関係
初心者質問  さんすけ  - 2003/7/3(木) 5:41 -

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   こんにひは。
質問のカタチを取りますが、
明確な答えを得られない感じもしますので、
雑談と考えても良いです。

曹操の祖父曹騰は、曹節の四人兄弟の末っ子で、
何らかの理由で宦官になり、夏侯氏から嵩を養子に迎えました。
もし私が曹騰だったら、わざわざ夏侯氏から養子を貰い受けずに、
兄の子供か、あるいは(調べてないんですが)曹騰の姉妹の子を養子にしようとしますけど……。
何故に夏侯氏なのか?
曹氏と夏侯氏は同郷の沛国ショウ県ですが、
宦官が養子を取る時に、何かそういった風習でもあったんでしょうか?
それとも、曹氏と夏侯氏に血縁関係はあったんでしょうか?

【209】Re:曹氏と夏侯氏の関係
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/7/7(月) 10:22 -

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   ▼さんすけさん:
こちらも流れさすのは惜しいので(というか例によって私が知りたいので・笑)、浮上させておきます。曹騰は後漢書、宦者列傳に「曹騰字季興、沛國[言焦]人也。」という感じで、伝があるのですが、夏侯氏との関係は明記されてないですね。三国志魏書武帝紀の注に引く「曹瞞傳」と「郭頒世語」(この2つ、現存してましたっけ?)には曹騰の養子、曹嵩が「夏侯氏之子、夏侯惇之叔父。」って書かれていますが、確かに「なぜ、夏侯氏?」って疑問が残ります。宦官がその子弟を地方のポストにつけるってのは当時ではよくあることみたいでしたけど(あ、引用元、省きます。気になる場合は訊いてくだされ)、そういう政治的な意味合いでもあったのでしょうかね。
(ちなみに、後漢書宦者列傳には曹節なる別人がいます・笑)

【211】Re:曹氏と夏侯氏の関係
 さんすけ  - 2003/7/8(火) 0:57 -

引用なし
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   ▼清岡美津夫さん:
>こちらも流れさすのは惜しいので(というか例によって私が知りたいので・笑)、浮上させておきます。曹騰は後漢書、宦者列傳に「曹騰字季興、沛國[言焦]人也。」という感じで、伝があるのですが、夏侯氏との関係は明記されてないですね。三国志魏書武帝紀の注に引く「曹瞞傳」と「郭頒世語」(この2つ、現存してましたっけ?)には曹騰の養子、曹嵩が「夏侯氏之子、夏侯惇之叔父。」って書かれていますが、確かに「なぜ、夏侯氏?」って疑問が残ります。

あ、曹操と夏侯惇の関係、見落としてました。
こんなに身近にあったのに。
ネットで気軽に質問するのは良いですが、
つい相手の好意に甘えて、自分で調べることをおろそかにしてしまいますね。
少し自省せねば……。
さらにそのあと、
太 祖 於 惇 為 從 父 兄 弟 .
と続いてますね。
夏侯淵伝や曹仁伝、曹洪伝にある「族弟」「従弟」とは、
こうした言葉の違いがあるのかもしれません。

余談ですが、
陳舜臣著の『曹操』には、

  曹操の父の曹嵩は、実は夏侯家に生まれた。夏侯惇の父と曹操の父とは、
  実の兄弟である。曹操の父は、曹家の養子となったのだ。異姓の子を養子
  にするのは尋常なことではないが、曹・夏侯両家は、何代にもわたって、
  縁組をかさねてきたのである。

とありました。
何を参考にしたのか。
せめて参考文献を載せてくれれば、ありがたいのですが……。
それとも、また見落としがあるのかも。
もっとも、同じ氏の小説『秘本三国志』には、

  一説に曹嵩の実家の姓は夏侯だったともいう。

と、極めて曖昧な表現。
まあ、小説ですから……。執筆の時期も違うでしょうし。
宮城谷三国志では、どうなんでしょうか?

また余談ですが、
別冊宝島『三国志曹操孟徳伝』に寄稿された關尾史郎という新潟大学教授の小論によると、
沛国では王氏という豪族が地方の要職をほとんど独占していた、とありました
(これも何の文献かわかりませんが)。
それで父の曹節(宦官ではありません)は、曹騰を宦官にして宮中に送り込んだんだ、と。
もちろん、かれの才覚を見込んでのことでもあったんでしょうけど。
また、安徽省毫州市の郊外での古墳群発掘調査の結果、
積み上げられたレンガ(磚)によって築かれた曹一族の墓室が発見され、
そのレンガには、曹騰・曹嵩の同年代の曹一族の姓名や官職名が刻み込まれており、
その他に夏侯一族の名前や、おそらく曹氏の息のかかった沛国の長官たちの名前、
これに携わった職人たちの作業工程の数字や造られた年代、
かれらの落書きまで(ひょっとしたら職人たちの名前まで)も見つかったそうです。
刻み込まれたレンガは、五百近く発見されたとか。
でも、これだけでは……。
同教授の論文に、
「安徽曹氏一族墓出土文字磚諸論」
というのがあるそうです。
どなたか、ご覧になった方はいますでしょうか?

>宦官がその子弟を地方のポストにつけるってのは当時ではよくあることみたいでしたけど(あ、引用元、省きます。気になる場合は訊いてくだされ)、そういう政治的な意味合いでもあったのでしょうかね。

ちょっとだけ調べたんですが、
桓帝の延熹年間に、侯覧という宦官が関内侯を買って、
その兄が益州の長官を務めてて、
当地の金持ちを罪に陥れて、財産を没収して私服を肥やしていた、
というのがありました。
たぶん『後漢書』宦者列伝の侯覧伝にあると思いますけど。
曹騰は、けっこう優秀な人材を推挙したそうですが、
……本当のところはどんなんでしょ?
他にも、あるでしょうか?

【220】ただの挨拶、もしくは予約です(笑)
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/7/10(木) 9:59 -

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   ▼さんすけさん:
>あ、曹操と夏侯惇の関係、見落としてました。
>こんなに身近にあったのに。
>ネットで気軽に質問するのは良いですが、
>つい相手の好意に甘えて、自分で調べることをおろそかにしてしまいますね。
>少し自省せねば……。

ふふふ、結果的に盛り上がったので、私的には歓迎でしたよ。
引け目に感じるのでしたら、その分、他の質問をサポートするってのが良いのでしょうかね。
ちなみに私は三国志とその注を見ずにいきなり後漢書&後漢紀をあたって、「ないなぁないなぁ」っていってたくちです(苦笑)。結局、三国志の注に詳しく書いていたってのは、私にはよくあることでして(笑)

元記事に、小説のことやら発掘調査のことやら興味深いことがたんまりあって、コメント入れたいんですけど、さすがに一度には無理なんで、後日、徐々に書いていきますね♪
(何だか、素晴らしい情報、書いてくれたのに、リアクション遅いのが心苦しかったのでこんな変な投稿いたしました・苦笑)

【225】古墳群発掘調査
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/7/13(日) 17:46 -

引用なし
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   ▼さんすけさん:
>また余談ですが、
>別冊宝島『三国志曹操孟徳伝』に寄稿された關尾史郎という新潟大学教授の小論によると、
>沛国では王氏という豪族が地方の要職をほとんど独占していた、とありました
>(これも何の文献かわかりませんが)。
>それで父の曹節(宦官ではありません)は、曹騰を宦官にして宮中に送り込んだんだ、と。
>もちろん、かれの才覚を見込んでのことでもあったんでしょうけど。
>また、安徽省毫州市の郊外での古墳群発掘調査の結果、
>積み上げられたレンガ(磚)によって築かれた曹一族の墓室が発見され、
>そのレンガには、曹騰・曹嵩の同年代の曹一族の姓名や官職名が刻み込まれており、
>その他に夏侯一族の名前や、おそらく曹氏の息のかかった沛国の長官たちの名前、
>これに携わった職人たちの作業工程の数字や造られた年代、
>かれらの落書きまで(ひょっとしたら職人たちの名前まで)も見つかったそうです。
>刻み込まれたレンガは、五百近く発見されたとか。
>でも、これだけでは……。
>同教授の論文に、
>「安徽曹氏一族墓出土文字磚諸論」
>というのがあるそうです。
>どなたか、ご覧になった方はいますでしょうか?

最近、別冊宝島で「僕たちの好きな三国志」、「三国志曹操孟徳伝」と続けて出ているのはいろんなサイトで知っているのですが、本屋に寄ってもなかなか巡り会うことができないんですよね。
なるほど、そういう小論もあるのですね。
三国志ブームがくる機運だと嬉しいんです。

下の古墳群発掘調査はたいへん興味深いです。
よくまわりの(といってもネット)三国志ファンで史書を見てもわからないときは、「どっかから出土しないかな」なんて冗談で言うんですが、これなんかすごい情報ですね。
(…と確認ですが、これも「三国志曹操孟徳伝」のネタなのでしょうか?)
この論文をみると、ここのスレッドの曹氏、夏侯氏の詳しい関係が浮き彫りになるんでしょうかね。
ネットで「安徽曹氏一族墓出土文字磚諸論」を調べると、リストは出てきますが、詳しいことはわからないですね。

【240】Re:古墳群発掘調査
追記  さんすけ  - 2003/7/18(金) 10:17 -

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   ▼清岡美津夫さん:
>最近、別冊宝島で「僕たちの好きな三国志」、「三国志曹操孟徳伝」と続けて出ているのはいろんなサイトで知っているのですが、本屋に寄ってもなかなか巡り会うことができないんですよね。
>なるほど、そういう小論もあるのですね。
>三国志ブームがくる機運だと嬉しいんです。
>
>下の古墳群発掘調査はたいへん興味深いです。
>よくまわりの(といってもネット)三国志ファンで史書を見てもわからないときは、「どっかから出土しないかな」なんて冗談で言うんですが、これなんかすごい情報ですね。
>(…と確認ですが、これも「三国志曹操孟徳伝」のネタなのでしょうか?)
>この論文をみると、ここのスレッドの曹氏、夏侯氏の詳しい関係が浮き彫りになるんでしょうかね。
>ネットで「安徽曹氏一族墓出土文字磚諸論」を調べると、リストは出てきますが、詳しいことはわからないですね。

「三国志曹操孟徳伝」のネタです。発掘調査は1970年代以降のことらしいです。
陳舜臣氏も、この発掘調査の資料を入手したのかもしれませんね。
その他に、王欣太氏の漫画『蒼天航路』(講談社)の巻頭特集や、曹操の戦史やその実像を検証しています。
本屋になかったので、私はamazonで買いました。
わかりやすく解説されており、井波律子先生や渡邉義浩先生などの著名な大学の先生方も寄稿されてます。
「安徽曹氏一族墓出土文字磚諸論」という論文もネットで拾って貼っただけです(笑)。

【244】宦官と州郡の関係。
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/7/20(日) 10:22 -

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   ▼さんすけさん:
>>宦官がその子弟を地方のポストにつけるってのは当時ではよくあることみたいでしたけど(あ、引用元、省きます。気になる場合は訊いてくだされ)、そういう政治的な意味合いでもあったのでしょうかね。
>ちょっとだけ調べたんですが、
>桓帝の延熹年間に、侯覧という宦官が関内侯を買って、
>その兄が益州の長官を務めてて、
>当地の金持ちを罪に陥れて、財産を没収して私服を肥やしていた、
>というのがありました。
>たぶん『後漢書』宦者列伝の侯覧伝にあると思いますけど。
>曹騰は、けっこう優秀な人材を推挙したそうですが、
>……本当のところはどんなんでしょ?
>他にも、あるでしょうか?

おぉ、そういうエピソードがあるのですね。なるほど。
根が深い問題ですね。

私が印象に残っているエピソードは同じく宦者列伝の張讓&趙忠のところです(元は後漢紀で知ったんですが)。
えーと、簡単に言うと、黄巾の乱が始まった一年目での張鈞(後漢紀では「張均」)の上書の内容です。
その上書では、黄巾の乱の原因は、十常侍が父兄、子弟、婚親、賓客を州や郡に送り込み、利益を独占したせいとのことでした。

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