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【1465】会話について たじ 2004/12/23(木) 14:44

【1467】雅言 清岡美津夫 2004/12/27(月) 16:36 ひと言
┣ 【1468】Re:雅言 ゆらら 2004/12/28(火) 0:14
┗ 【1471】Re:雅言 青青生 2005/1/3(月) 6:02

【1467】雅言
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2004/12/27(月) 16:36 -

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   どうも初めまして、清岡と申します。
天下を三つには分けた話の三国志ジャンルには結構、ありがちな話題ですね(それだけ方言が出やすいかと)
劉備や諸葛亮ら士大夫には共通の言葉があった、なんてことに結論はなるんですけど、その話の出典が私にはよくわからないです(汗)
今回、良いきっかけだとおもってネットを調べたり辞典を調べたんですが、私からよくわからないですね(誰か詳しい方、おられます?)
「雅言」とかそれっぽいキーワードまでは行き着いたのですが…

[#T1070]
↑と、ここの掲示板でも以前にも話題が出てますね。今、検索かけて、思い出しました(汗)

【1468】Re:雅言
 ゆらら  - 2004/12/28(火) 0:14 -

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   どうもお久しぶりです(?)

春秋時代には一応の共通語があったようです。
それが「雅言」と呼ばれているもので、
周(西周)の首都があったのは鎬京(=長安)だったので
陝西地方の言葉が基礎になっているらしいです。
漢代頃からは「通語」と呼ばれ
「雅言」に河南方言が融合した言葉が共通語となったようです。
河南方言が加わったのは漢の都が洛陽だったからでしょうね。

三国時代に話を転じると、
士大夫層は「通語」知識はあったのではないでしょうか。
当然訛はあったでしょうし、
読み方が違う漢字もあったようなので、
地方者(!?)は詩を作る時も韻の踏み方が違って苦労したようです。

【1471】Re:雅言
 青青生 WEB  - 2005/1/3(月) 6:02 -

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   こちらの掲示板にはいつもお世話になっております。

上でゆららさんが丁寧にお答えになっているので、余計なことかと思いますが、たまたま読んでいた宮崎市定『九品官人法の研究』で方言について言及された一文があったので、紹介します。

「(東晋の)元帝の江南政権が確立すると、南方土着の貴族は第二流の位に置かれた。これには言語の相異という理由もあったらしい。建康の朝廷では北方の言語を用い、南方の呉語は方言として退けられたので、呉語の訛りのある南方貴族は田舎漢として軽蔑されたのであろう。」
「南朝の国都では北方中原語を標準としたので、官僚になると土着人も北方官話を用いるのを普通とした。」

三顧の礼の時期より百年くらい後のことですが、言語は急激に変化するものではないと聞きます。ご参考程度に・・・

それから、完全に後の時代の話ですが、清朝の官僚は北京官話(?)という共通語で会話したそうです。北京地域の言葉と文語をベースとしたもので、人によっては、文語でしゃべった士人もいたそうです。
読み書きが出来る支配者層ならば、文語という共通言語があったので、口語だけの庶民よりは会話しやすかったのではないでしょうか。

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