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▼Hayatoさん:
>武帝本紀や呂布伝では、呂布は戦う度に敗北を重ねていて、彼が戦闘で勝利したという記述は僅かに二回を数えるのみです。(黒山賊攻撃と袁術撃退戦)
>よって運動神経ならともかく、将軍としては彼は全然強い部類ではなかったようですが、それでも一応当時の群雄たちからは怖れられていたようです。
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>好戦的なうえに、ある程度の兵力を持っていて、かつ何をしだすかわからない性格を怖れられたのでしょうか。単純に「強さ」ではなさそうですが。
>それとも、彼が軍人として「強かった」ことを示す何かエピソードはありますか。
ペテン師といいます。
呂布の強さについて
呂布の強さは個人的武勇に頼ったものではなく呂布の率いた騎馬軍団が恐れられているのです。
呂布自体は将軍としての能力よりも騎兵を率いて戦局を覆す破壊力が周辺群雄に恐れられていたのであり且つ、魅力的なものであったと推測されます。
では何故、そう思うか二つほど例を挙げますと
第一に、黒山賊撃破ですけどこれは個人的武勇よりも彼の率いた騎馬軍団が賊の中に突撃を繰り返し勝利に導いたとあります。
※併州や涼州及び幽州などは辺境塞外の地であり生活習慣や弓馬武芸などが全く異なっていたのもその要因のひとつでしょう。
第二に演義も史書も採用している言葉で呂布がくびり殺される前に命乞いの言葉で「君が歩兵を率いて私が騎馬を率いたら…」というくだりがあります。
呂布自身がおのれの率いていた騎馬軍団の価値を知っており周りからのどう思われているかの評価を知っていなければいえない言葉だと思います。
以上のことから呂布+騎馬軍団=恐れられるの図式で良いのだと思います。
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