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白崎ゆきと様
MM2様
初めまして&ご説明ありがとうございます。
▼白崎ゆきとさん:
>E=mc^2さんが質問に書かれた軍隊像からは、
>近代的な西洋式軍隊のイメージをつよく感じたのですがどうでしょうか?
うえの質問を書いた時には特別意識していなかったのですが、
逆に意識してなかったってことは、白崎さんの言われるように
ある程度近代的・西洋的な軍隊を前提に考えていたような気がします。
>その上で申し上げたいのは、現代における軍事の常識というのは、
>三国志ではあまり通用しないということです。
>たとえば、三国以降の戦乱の時代では武力がものを言い、
>それさえあれば皇帝にもなれたりしますが、
>それが全ての権力を保証するかといえばそんなことはありません。
>たとえ皇帝となったところで、貴族と呼ばれる連中からは全く相手にされないんですよ。
>
>また、中国には清末に西洋を模倣するまで、
>軍事学のエキスパートを養成するという発想がなかったそうです。
>まれに兵事を熱心に研究しちゃう人こそ出るものの、
>国家をあげて軍事研究を推奨したり、専門教育を施したことがなかったと聞いたことがあります。
なるほど。目から鱗です。
ただ、私は実はそこまで厳密に考えるところまで至ってませんでした(汗)。
ものすごく、シンプルというか単純に、「テレビも写真もない状況だと、軍事についても当然というか、なんというか、On the job trainingしかないよなぁ。だと、現場に出ないで軍事的な能力を身につけることはまずできないような気がするなぁ。その割には、蒼天航路なんかだと、軍師は現場に出ないみたいなことがかかれてるなぁ。うーん、実際はどうだったんだろう?」と疑問に思ったのです。
>あと、軍師とそれに類する官職の変遷については、
>石井仁先生の『軍師考』という論文がありますよ。
>東北大・日本文化研究所研究報告27集に収録されているのですが、
>大学図書館などでなければ置いてないのが難点ですねぇ。
貴重な、文献の指摘、わざわざありがとうございます。
大学の図書館に入ることができる身なのですが、史学科どころか、文学部すらない大学なので…
でも、何かの機会があればぜひ目を通してみたいですね。
>申し訳ありませんが、疲れていますのでここで一旦筆をおかせていただきます。
また、宜しくお願いします。
MM2様
>三国志の武帝紀建安三年正月に曹操が(自分の府に)初めて“軍師”を置いた。とありますね。
>勿論現在一般に謂われている“軍師”とは意味合いが違い、それまでの高級官僚の筆頭属官であった長史より上位に新設された副官・秘書官のようなものだと思われます。
>曹操の府では荀攸・鍾ヨウ・毛カイなどが就いていますね。ちなみに蜀・呉にも“軍師”なる官があり、臨時に新設されただけの官職ではなく、それなりに意味合いを持った官職だったのではないでしょうか。
なるほど。
そうすると、個人的には某臣という表現の方が、実際と近い感じがいたします。
それなりに意味合いを持った官職であったとするのであれば、各国でそれぞれどんな人が軍師になっていたかから、逆算する方がそれぞれの国で「軍師」がいったい何をしていたのかが、よく分かるのですかね(^^)。
ご説明、ありがとうございます。
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