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少し前に正史の孫呉の孫一族を読んでいて思ったのですが、孫堅死後の孫一族ってあまり仲が良くなかったのでしょうか?
というのも孫堅が死んでから孫策が揚州攻略の時になかなか孫静は一族を引き連れては来なかったですし、孫憤を呉景ともども袁術のもとへ返しています。
孫策が古参の武将を配下に加えたとしても1000余名ぐらいのものでそんなに多くはないわけですから孫策としては一族の率いる兵士が頼みの綱になるはずですが孫策に従っていません。
孫策みたいな若造に孫一族ならびに自分の子供たちの運命を任せる危険を冒すことは出来なかったのかもしれませんけど王朗を攻略してしまうと孫静は田舎へ帰ってしまうし孫策が死んでしまうと孫権を盛り立てて行こうとしているのに孫嵩が宗主の地位を取りに行ったり、孫輔は曹操に誼を通じようとしたりしてます。
また孫権在位中から息子の病死や二宮の変でバタバタとなくなりだすともう歯止めが利かなくなり他の孫憤・孫輔・孫静のグループの力が増し孫権死後、息子達は軒並み死に追いやられている感じがしますし、一族内部で自殺、造反、誅殺が頻繁に起こっている事からあまり仲がよくなかったのではないかと思っていますけど皆さんはどうお思いでしょうか?
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