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メモ「掲示板を決めつける」 |
030426
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<<Sandai NEWS 030130 (メモをお読みになる前に) 数行、読めばわかると思いますが、これは、思いつくまま、書いていったやつです。まさしくメモ。それに一気にかいたわけじゃなくて、何回かにわけて書いたので、筋道だってません。予め、ご了承下さい。 世の中、多種多様。 だけど、ある程度、種類分けしないと、話もできない。 動物は動物でも、ゾウはゾウって名付けるし、キリンはキリンって名付ける。そうじゃないと、動物の中で、首が長いの、とか鼻が長いの、とかいちいち言わないといけないし、それだとイメージが伝わりにくい。 ゾウの中でもアフリカ象か、インド像か、はたまたオスかメスか子象か親象かって細かい分類はあるけど、ゾウっていえば、とりあえず相手にはイメージが伝わるのだ。 話がいきなりとんで、インターネット、それも個人サイトの話。 個人サイトの見どころ(というか、コンテンツ)はいろいろあるけど、上記の例、よろしく、分けることができる。 例えば、これは自己紹介(Profile)のコンテンツだとか、これはリンク(Links)のページだとか。 それで、今回、話題に上げたいのが、掲示板。別名、BBS(=electronic bulletin board system)。 説明は不要だと思うけど、一応。 ウェブ上で、文字のやりとり(書き込み)で他人とコミュニケーションをとれるシステムね。ネット上のコミュニティの一種だけどチャットルームのように即時性は高くなくて(高くもできるけど)、レスポンスが返ってくるのは普通、数時間〜数日を要する。 情報の速さから言うと、すぐれていないように思えるけど、その分、考える時間や文を推敲する時間に当てられるので、情報の質はチャットより高くなると思う。 説明はこの辺にして。 個人サイトをまわっていて掲示板に訪れて、最近、思うことがあるんだけど、どうも、私の中で「掲示板」の一言で済まなくなってきたぞ、って思うようになってきている。 ゾウはゾウ、掲示板は掲示板 で済まなくなっているってこと。 少なくとも、私の中で「掲示板」は2つあるぞ、って思い始めている。 便宜上、その二つの「掲示板」をシングルとマルチって呼ぶ。 (ちなみに私の好みは後者。説明の前に好みを書いても仕方ないけど) シングルは個人サイトの中では多数派。 訪問者が掲示板に書き込む、主な内容は、管理人による創作のことなり、日記を媒介にするなり、とにかくコンテンツに関する感想の類だ。他には訪問者の近況なりが入る。 管理人は、そういった書き込みに対するお礼とコメントを書き込むのが常となりやすい。 また、さらに話題に発展性があれば、初めに書き込んだ訪問者が書き込みを加える。 訪問者と管理人との一対一のコミュニケーションが主になってくる。 だから、書き込む訪問者の数だけコミュニケーションのラインがあるということになる。管理人を中心として、まわりの書き込む訪問者に向かって放射状にコミュニケーションのラインがのびているイメージかな。 訪問者にとって、そのラインは一本だけだけど、管理人にとっては書き込む訪問者の数だけラインがある。 それらのラインを維持するには、管理人の負担となる。(もちろん、適度な数だと管理人にとって楽しいんだけど。) と、一つの個人サイトの一つの掲示板に着目するとこうなんだけど、実際は個人サイトがいくつもあると想像した方がより現実的。 どこか適当に個人サイトの掲示板を見てもらうとわかるように、書き込む訪問者も個人サイトを持っていることが多い。 だから、管理人と書き込む訪問者の立場はすぐに反転しやすい。 今度は訪問者だった人の個人サイトの掲示板へ管理人だった人が書き込むということになる。 そのときの書き込む内容は、特別な場合をのぞいて(「頂き物」とか「リンク」の話とか)、先の掲示板の書き込む内容と関連性はあまりない。むしろ意識的にせよ無意識的にせよ、関連性のある話題をさけるのだろう。関連性のある場合は、多くの管理人が避けたがる「宣伝行為」になりえるからだろう。 書き込む掲示板は違うといえども、結局、この両者は個人サイトの管理人であるし、書き込む訪問者でもある。つまり、対等な立場ともいえる。ラインが確立されいるのであれば、どちらかのサイトで更新されるたびに、もう一方の管理人が感想の類を書き込むことになる。サイト管理者同士のラインは、「感想書き込みのやり合い」が至上の状態(定常状態?)なのだろう。その至上の状態は程度の差さえあれ、崩れるか、維持され続けるかしかないような気がする。 ともあれ、ジャンルによっても違ってくるだろうが、個人サイトの数の多いジャンルでは、そういう管理人同士ラインが崩れたり自然消滅したりしても、また新たなラインがつくられるだろうし、サイト自体も新たに作られたりするので、一つの個人サイトがもつ管理人同士ラインの数はある数を中心に保たれやすい。もちろん、その個人サイトの管理人の都合(ネット上、実生活、問わず)により、大きく上下する。 管理者同士ラインを維持するのに相手の掲示板に書き込むという手間があるものの、その管理人の掲示板に書き込まれるというメリット(喜び)が伴う。そのメリットのせいか、管理人はそういったラインの維持に努めようとしやすい。また、新たな管理者同士ラインを容易に作れると見なしている管理人にとって、あるいは、何もしなくても自身の掲示板に感想などの書き込みがなされる管理人にとって、そういった維持への努力は必要ないのだろうか。 と、なにやら途中で文体が変わってしまったような気がするけど、気にせず、次。 マルチ。 マルチはファンサイトや知識系サイトに多い。 管理人が創作などで話題提供をせずとも、掲示板に書き込む話題が多いサイトだとそうなりやすい。シングルが管理人中心に書き込みがされるのに対して、マルチは話題中心となる。 管理人なり、訪問者なり、話題を提供され続けることによって、「生きた」掲示板となる。その話題提供が個人サイトのコンテンツ(更新分)になることももちろん、大いにある。そして、話題提供だけじゃなく、その話題に対する新たな書き込み(「レス」と呼ばれるが)がある程度、ないと「生きた」掲示板とは呼べない。それらの書き込みは、必ずしも管理人が介在する必要はない。 マルチは、話題提供の書き込みにせよ、その話題に対するリアクションの書き込みにせよ、「書き込みが書き込みを呼ぶ」という性質をもっている。「書き込みが書き込みを呼ぶ」にはある程度、書き込み内容の質が問われることになる。 内容の質は、書き込む人によるところが大きい、当たり前の話だけど。また、「書き込みが書き込みを呼ぶ」には、ときとして、話題の内容より書き込む人の立場が影響することがある。例えば、初めて書き込む人より過去、何度も書き込みしていてサイト訪問者に認知されている方が、「書き込みが書き込みを呼ぶ」という現象が起こりやすい。場合によっては、書き込む人の個人的な情報を提示するだけで、その現象が起こる。 さきほどのシングルでは触れなかったが、書き込むメリット(喜び)というのは、それに対する書き込みのリアクション(レス)が得られるというのも含まれるのだろう。これはシングルでも存在するメリット。内容が濃く、もしくはより多くのリアクションを得ようとすると、単純に自らの書き込む回数を増やすか、書き込む質を向上させるかのどちらか。書き込んだ人の期待ぐらいかそれ以上のリアクションがあると、その人が再び書き込む率が高くなる。それらが繰り返されることによって、書き込んだ人は「常連」と呼ばれるようになる。 マルチは、この常連の数(管理人が認めている数というより有効的な数)によって掲示板が「生きた」状態のままで安定しやすいかどうか決まってくる。 常連は安定というメリットがあるものの、同時に停滞というデメリットも生みやすい。例えば、常連同士にしかわからない、あるいは入りにくい話題が常出していて、新規に書き込む人が現れにくくなってたりと。 と、まとまりがなくなってきたこともあって、このへんで。 どういう掲示板が手元にあったら素敵だな、っていうのは、またの機会…… |
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