わかれ目   〇六
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   敵の賊軍は数にまさり、勢いはあると思っている。
   その勢いに飲まれてしまうと、我々の小軍などもみ消されてしまう。
   だから、勢いが弱まるまで、相手の調子に乗せられてはいけない。陣の展開のさせ方から一兵卒の動きに到るまで、基本通り動けば、我が軍は崩れず、逆に敵軍の勢いは跳ね返され、やがて衰えていくだろう。

   それは兵卒の数の大小じゃない。機会の問題だ。
   今からがその機会だと信じ、兵卒が揃っていないとはいえ、進軍させ、南の潁川郡に乗り込んだ。ひとまず長社というところを目指しているが、まだ敵軍に遭遇していない。

   軍を進めることは、もう一人の司令官、皇甫義真に報告しているが、その返答を待たずに飛び出した。軍を充分に整えず、戦へと向かうなんて、あの義真ならば何というだろうか。愚の骨頂というだろうか。
   だけど、私は信じている。これが最小限の惨事にする選択だと。今はわからないだろうが、そのうち、きっとわかる。そして、彼もわかってくれるはず。


「敵影発見!」
   急に大声が耳に飛び込んできた。声の方を向くと馬上の男。そうか、彼は伝令の騎馬だ。そして、今は行軍中。私も馬上にいる。
「手はずどおりにと、孫司馬に知らせてくれ」
   私は伝令に軽く告げた。伝令はすぐに馬首を返し、軍の進行方向へ向かう。

   行軍の先頭には佐軍司馬の孫文台がいる。護軍司馬の傅南容は、本来の所属からもちろん従軍せず、京師近くで義真の軍を整えている。
   敵軍と遭遇してから、すぐに陣形を整えられるよう、文台にその号令をまかせている。陣形をくむのが遅く、勢いづく相手にその隙を狙われ総崩れしないとも限らないという配慮だ。

   しばらく馬を歩かせると、前方から無数の大声が聞こえてきた。
   その後、前から順々に鼓の音が近づいてくる。

   これだ。この感覚だ。

   そう思うとだんだん胸が高鳴ってきている。この高揚。この興奮。三年前のあの感覚だ。

   いよいよ戦闘開始だ。

「配置につけ!   素早く!   素早く!」
   気付くと私は叫んでいた。敵と対面すると何を為すか兵卒全員に言い聞かせているので、こんな命令なんて意味がないとはわかっていても、高揚する体が声を出さないことを許さない。私の熱気に兵卒たちの熱気が加わり何度も跳ね返ってくるようだ。

   手はず通り、各部は陣形を整えるため、てきぱきと動いている。勢いに任せ一気呵成に攻める戦も良いが、こういった訓練の成果が出てくる戦も私の好みだ。何かをなぞるかのように勝利へと近づく感覚だ。

   行軍の列から横に広がる陣形なので、私はより敵軍に近づくことになる。
   遠目にみても、張角の信者たちの異様さがわかる。なぜなら、全員、頭に何やら黄色いものをつけているからだ。こちらへ敵意を抱いている黄色がわらわらとうごめいている、そんな不気味さが私の危機感をあおっている。我が軍より一回り大きい軍勢なので、一万人はいるだろうか。

   弩(いしゆみ)の発射、矛の突き、戟の打撃、すべては基本通りに進んでいる。
   小さくうごめく黄色は、面白いように左右へ前後へ乱れている。

   その異様さが目立ちすぎてあまり気を向けてなかったが、敵の隊列は元から無秩序だ。あれだと攻められ弱い。それが顕著に現れている。我々の軍の初めの攻撃でずいぶん乱れている。敵は訓練不足だ。
   我々の軍も急造軍だが、敵の軍はそれ以上に急造軍だったようだ。軍というより単なる凶暴な人々の寄せ集めだ。
   おそらく二回目の攻撃に敵の軍は耐えられないだろう。

「もう一度、正確に攻撃だ!」
   私は号令を出した。これも予め決められた攻撃には無意味なものだが、確実にあたりの兵卒たちの士気をあげているようだ。
   多くの敵兵たちが背中を見せはじめている。思った通りだ。敵軍は指令を受けずとも一人一人がその場から逃げ出そうとしている。やがてその一人一人の動きが一つの大きなうねりになり、敵はちりぢりに去っていく。

   勝利だ。

   ここで追撃はしない。初戦は威を示すのが目的だ。
「攻撃、やめ!」
   私は腹の底からわき上がる喜びとともに大声を吐いた。それと共に鐸(おおすず)が手前から奥へと順々に鳴り響く。進軍、やめの合図だ。

   戦後処理が済めば、また行軍だ。


   敵軍の数は多いが、まだまだまとまって防衛に当たれる状態ではなさそうだ。
   この調子で進軍し、敵軍に遭遇したら基本通り応戦し、また進軍する。その繰り返しだけで、潁川郡の賊軍を切り崩せるように思える。まだ敵軍は勢いづくどころか、まとまってすらいない。この調子の進軍で潁川郡の敵軍の中核を攻めれば、簡単に乱を鎮めることができそうだ。


「皇甫中郎からの書簡です、朱中郎」
   そう左から話しかけられた。どうやら義真からの伝令が来たらしい。馬に乗っている。
「ご苦労」
   一言発し、両手で差し出された竹簡を左手でうけとった。

   封をしてある竹簡を勢い良く開く。
   先ほどの戦の前であれば、義真からの意見を待たずに軍を進めた後ろめたさから竹簡を開くのを躊躇しただろう。だけど、今は違う。私の勝利へのわかれ目を見切ったんだ。

   竹簡には指令の様式に沿った文が書かれている。だけど、私にはまるで目の前で義真が語りかけているように感じた。

──おまえさんの決断は見事だ。敵の出鼻をくじけば、司隷へ侵入されるという危機はさるだろう。この書簡が届く頃には、おまえさんのことだから初戦はうまく敵軍に勝てたんだろうな。儂ももうすぐしたらそちらへ向かって発つつもりだ。もちろん、編成した三万の兵卒を引き連れてだ。だから、儂が到着するまで待っておいてくれ。敵は大軍だ。初戦は勝てるだろうが、数で劣る分、二戦目三戦目が危うい。後は四万ほどの軍で一丸となって戦おう──

   まだ先ほどの戦のことを知らない義真がこういう指令を出すのも無理はない。やつらが軍ではなくただの暴徒の寄せ集めだとは知らないんだ。
   やつらを目の当たりにするときっと義真も同じように感じるだろう。

   このまま前進、一気に敵の中核を叩け、と。

「出発だ!   突き進むぞ!」

   私の号令で、波立つように鼓の音が順々に鳴っていた。