憧れのもとに   一六
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   あと数歩で、周瑜と孫策の二人は、ようやく初めの帷幕につく。
   大きなざわめきのでどころへ向かって歩いてきたのに、まだ目的の場についてないと瑜はさとる。前に抱えている甕(かめ)で両腕がそろそろしびれ始めているのを彼は感じている。
   眼前から奥の方へと並ぶ帷幕。どうやら、ざわめきは奥の方から瑜の耳へ届いている。
「待て」
   右にいる孫策が瑜に呼びかけた。瑜は立ち止まる。策は地面に甕を置いて、再び、瑜に話しかける。
「甕はここにおいていこう。あの騒ぎが何かを確かめるのが先だ」
   策は精悍な顔を見せていた。瑜も甕をその場におろす。
「そうだね。走っていこう」
   瑜はそう言った矢先に、かけ出した。
「おう!」
   策はすぐに応じ、走り始めた。
   ほとんど間をおかず、瑜のとなりに策は走っていた。

   瑜と策は両側に並ぶ幕舎を横目に走っている。これらの幕舎は大通りの両側にたてられているんだろうな、と瑜はぼんやりと考える。
   ちょうど左に曲がったとき、瑜の目に人だかりの光景が入ってくる。瑜が見たこともないほど、大人数だ。それがざわめきの正体だということがわかる。
   あと十数歩の距離になり、自然と二人は歩いていた。

   近づくと、瑜が想像したほど、人々はあわただしい様子ではなかった。その人の集まりは様々な年齢の人で成り立っている。中には、大人ぐらいの背丈なのに甕を持っている人もいる。そういえば、火を消す役目は二十歳より若い人だから、いてもおかしくないな、と彼は思っていた。そしてすぐに、自分たちが最年少だ、と彼は実感していた。
「まだ、火を消しにいかないのか?」
   そう声を出したのは策だった。瑜が見ていた大人ぐらいの背丈の男に彼は声をかけていた。その男は顔を少しこちらへ向ける。
「とにかく、ここへ集まれってさ。ほら、この向こうから大勢の声が聞こえるだろ?   何かこの先で大変なことが起こっているらしい…」
   男は人だかりの方へ右手の指を向けた。
   この人だかりのさらに奥に何か起こっている、と瑜は感じる。確かにざわめきは目の前から以外にも、さらにその奥からも聞こえてきている。普段、その違いを聞き分けられるけど、それに気付かないなんて、よほど興奮してたんだ、と彼は自らをかえりみる。
「みんな、ここへ集まって、何かするのですか?」
   瑜はその男に質問した。
「君らから見えないかもしれないけど、この集まりの前に台があるんだ。そこへ太守がやってきて、何か指示を出すらしい」
   男はぼそぼそとしゃべった。
   瑜は「太守」という言葉を聞き逃さなかった。太守とは、兵卒として動ける人以外にも消火活動にあたれる年少の人にも一致団結を呼びかけた本人、羊興祖のことである、と瑜は知っていた。黄巾賊に城壁の内側まで攻められ、大人も子どもも、おびえていた中、太守の呼びかけは彼にとってとても頼もしいものだった。
   一目、会ってみたい、と瑜は強く思う。
「前に行こう」
   突然、瑜は言った。策は瑜を見る。
「前に行ってどうすんだ?」
   策は問うた。
「太守に会うんだよ」
   瑜は答えた。彼は策に視線を返している。
「でも、こんなに人がいちゃ前に行けないぞ」
   策はいさめた。
「君が通り抜けた城壁より簡単だ」
   瑜はからかった。
   瑜は笑顔を残し、人だかりの中へ入ろうとしている。
   策はあわてて、瑜の後についていく。

   時には両手をついて人々の足の間を通り、二人は人混みをかき分け、前進していた。
   人々は当然、足下をとおる子どもに気付かない。二回ほど、瑜は頭を蹴られそうになった。それでも瑜は泣き言一つ言わず、人々の影の中、前進に前進を重ねた。
   瑜の視界が広がり明るくなる。彼は自身が人混みを通り抜け、最前列に来たことを悟る。
   瑜はその場ですくっと立ち上がる。彼は自らを包む袴褶をつまみ、かなり汚れたなあ、と感じている。しかし、それは嫌な気分ではなく誇らしい気分であったことに、彼自身、驚いていた。
「やったな。ようやく前にでられた……まぁ、俺はおまえについていっただけだったから、かなり楽だったけどね」
   瑜の後ろから策の声がした。瑜は振り返る。
「ふふ、まあ、ざっとこんなところ」
   瑜は砂塵で汚れた顔から喜色を表した。
   策もそれに合わせて、にっと笑う。