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憧れのもとに 一四 |
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<<目次 <<小説本編の入り口へ戻る <<一三 呂子衡は、隣の家屋より一回り大きい建物の前にいた。 子衡はその門へ寄りかかっていた。子衡は官吏服に身を包んでいる。そして、子衡の前に立つ男は袴褶(こしゅう)姿だ。 目の前の男に子衡は書簡を手渡す。 袴褶姿の男は子衡に一礼し、そそくさとその場から北へと立ち去る。 子衡はゆっくりと安堵の笑みを浮かべる。 普段なら、寒気から身を守ろうと、用事が終わり次第、そそくさと家屋の中に入るんだろうが、子衡はしばらく門にもたれ掛かっていたかった。初めの職務を終えたら、いよいよ、孫策の捜索だ、と彼はおのれに課していた。しかし、いざそのときが来ると、彼の中に気後れしている自分がいた。 子衡は思う。少しぐらい急いだって何も変わらない。だから、こうやって少しぐらい一仕事、終えた余韻に浸ってもいいじゃないか、と。 「そちらの仕事は終わったようですね」 右後方から発せられたその声に、子衡はびくりと振り返った。子衡の眼前に、孫幼台の笑顔がある。 子衡は背中を門から離し、直立の姿勢をとる。 「はい、今さっき終わったところです。舒の城を攻めている黄巾賊について、何とか、書をまとめました……今、寿春に送ったところです」 子衡は動揺した声で応対した。幼台はにこりと笑う。 「どうやら、私はあなたを驚かしてしまったようですね」 幼台は一歩、退いた。 「いや、驚いたってことではありません。すぐにあなたを呼びに行こうとしていたところです。また、孫郎を探さないと駄目ですし」 子衡は先ほどの動揺を払拭しようと早口に話した。 幼台は腕を組み、考えるそぶりをみせる。 「で、孫郎はどこにいると考えてます?」 普段と同じ笑顔のまま、幼台は疑問を投げかけた。 「そ、それは…」 子衡は答えに詰まった。そういえば、先ほどまで、一つの仕事を終わらせることばかりに懸命で、孫策のことに頭が回らないでいたことを彼は思い出す。このままでは、幼台に考えのない男だと思われてしまう、とばかりに彼は何かしらの言葉を出そうとする。 「……孫郎が今、どこにいるかは見当つきません。だけど、黄巾賊の陣営近くまで、行けば、必ず孫郎を見つけだすことが出来ると思います。今までの行動から考えると、孫郎は簡単に引き下がるようなやつじゃなさそうですし」 咄嗟にでた言葉にしては上出来だ、と子衡は胸中で思っていた。現に幼台は感心した様子で、何度もうなづいている、と彼は視認した。 次は幼台の寸評だ。 「ほう、あなたもそうお思いでしたか。実は私もそう考えてます。策は黄巾賊の陣営を見て、立ち往生しているといった考えです……」 幼台の言葉に子衡は胸をなで下ろした、俺の考えで間違っていないのだと。 幼台の話は続く。 「……そのため、策の安全を考えると、黄巾賊との戦闘も視野にいれないといけません。そのため、あなたがお仕事をしている際に、私はある一計を案じ、根回しをしていました」 幼台はさらりと言った。 「一計? 何ですが、それは?」 子衡は驚きを隠さず疑問を投げかけた。まさか、自分が県府の職務をこなしている間に、幼台が一歩も二歩も進んだことをしているなんて、彼は思いもよらないでいた。 「まあ、これを話すには、まず立ち戻って説明しないといけません……あの黄巾賊は、舒の城を攻める前に、どうやら官軍の兵糧拠点を攻め落としていたようです。おかげで舒の周りの官軍は動きたくても、肝心の食糧が充分ではないので、あまり長くは動けないようです」 幼台は一旦、言葉を切った。彼は子衡の理解の進度を確かめていた。 「かといって、手をこまねいている場合じゃないでしょ? 何とか、食糧を集めないと」 子衡は幼台の話に呼応した。幼台は何度かうなづく。 「そうなんですよ。だから、私は官軍の要人にさっき、お話をしてきました。『支払いは戦が終わってからで良いですから、是非、富春孫氏に兵糧の調達をお申し出くださいませ』というお話をね」 幼台の顔はにこやかだ。 子衡はこんな心底、楽しそうな幼台を見るのは初めてのことだった。そう感じるのと同時に官軍の行方を彼は気になりだす。 「では、いよいよ官軍が黄巾賊退治に乗り出すのですね」 子衡の声は興奮に満ちた声を出した。 「まあ、お話をした官軍の人はどうも舒にいる太守に援軍を要請されているようです。だから、この話に乗り気なようですし、それに、富春孫氏が食糧を調達することをすっかり信用していただいてますし、おそらく今すぐにでも軍を動かすかもしれませんね……ただ、これから富春孫氏は近隣からの食糧の調達やその安全な輸送などで大忙しになりますがね」 幼台は最後に弱音のような言葉をはいていたが、それに反し表情はとても楽しそうだった。 その幼台の様子を見ていた子衡は心の内で恥じていた。彼自身は一つの県にただ報告書をおくるだけで手間取っていたのに、孫幼台は黄巾賊から一つの郡を自らの手で救おうとしている。それなのに、自分は一つの仕事を終えていい気になっている、と彼は恥じていた。それに同じときの仕事なのに、こうも大きく違うのかと、彼は愕然としていた。 |