憧れのもとに   〇二
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<<〇一



   男の瞳に城壁が小さく映っていた。
   そして、男は開いた右手を前に出し、城壁の光景をその手でにぎる仕草をする。
   これが第二段階かと、男は興奮で身を震わせていた。だが、今まで決して楽な道のりでなかったと、男は昔を振り返る。
「すべては、あのお方がやつらに捕らえられたときから始まった…」
   男の強き思いは口から漏れ出ていた。
   男の心中の人物が捕まったとき、男はその場に居合わせてなかったが、男ははっきりとその光景を思い浮かべることができた。心中の人物は、捕まってすぐにその体を車で裂かれたという想像しやすい事実があったからだ。
「馬元義様…」
   男は感極まり、心中の人物の名をつぶやいた。馬元義と呼ばれる人物が殺されたとき、男は集めた信者たちをぎょうという城邑(まち)へ率いようとしていた。ところが急に届いた、馬元義が亡くなったという報に、男の取り巻きは騒ぎだし、ついに一部の信者たちが故郷へと帰りはじめた。男は馬元義の命令を忠実に実行することに長けていたが、不測の事態に対応する才や混乱する組織をまとめる術をもっていなかった。
   その際、男の直属の部下は誰もこの事態を止めようとする者がなかったので、自然と信者たちの集まりは崩壊した。男は当時、馬元義がなくなったことで心の支柱を失い、信者たちが離れていったことで食い扶持のあてをなくした。
   男はその絶望のときをはっきりと覚えていた。なぜならその四日後に男は今につながる重大な決心をしたからだ。それはいつか馬元義の成せ得なかったことを彼自身が成し遂げようとする決心、すなわち、男が信者たちを新たに集め、京師を攻め落とすという決心だった。
   その決心の表れとして、男は馬元義の姓を貰い、「馬信議」と改名した。しかし、馬信議と名乗りはじめた男はすぐに行動を起こそうとせず、廬江郡の山野で時を伺っていた。
   それから暑い季節が去り、寒い季節も来て、再び暑い季節が過ぎ去り、寒い季節が近づきつつあったときに、馬信議は動き出した。
   馬元義と同じ方法で信者を集め、そして、各地から敗れ流れてきた信者を吸収していく。
   馬信議の興味がなかったことだが、それより一年足らず前に教祖が亡くなり多くの信者たちが官軍に殺され、生き残った信者たちは今やまとまりのない集団になっていると、彼は聞いている。彼は自身の組織を大きくするにはそれをも利用する覚悟があった。
   信者で膨れに膨れた馬信議の組織を、彼は一つの明確な目標をうち立てることで、律しようとした。大目標が京師を攻め落とし、新たな秩序を四海(てんか)へと広めること、目先の目標が県府のある城を乗っ取ること。
   行き場のなかった信者たちの力はその目先の目標で解き放たれ、いとも簡単に近くの城を乗っ取る。
   そして、今、馬信議は信者を率いて、さらに大きな拠点、郡府のある城を襲撃しようとしている。
「あの城邑の名は舒。やがて我ら、馬元義の弟子たちの踏み台になる城邑」
   信議は声を漏らした。その声は妖しく辺りに響いていた。