2005年10月の更新歴
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10/27   一応、素材はたまっているけど

来世へのトンネル・笑   右の写真は「中国 美の十字路展」が開催されている美術館のMIHO MUSEUMの敷地内のレセプション棟から美術館棟に向かう途中のトンネル前です。トンネルの手前にあるのは電気自動車です。一体、どんなところに行くのかワクワクしてました。それにしてもここ一ヶ月で美術展へ結構、行ってます。「よみがえる中国歴代王朝展」(>>別サイト・参照)に「ルーヴル美術館展」。というわけで、>>美術鑑賞メモにあれこれ増えても良いんですけど、なかなかです。これらを書くと、私が三国志周辺以外の中国史に詳しくない典型的な三国志ファンってことがバレバレになるので躊躇してしまいます(笑)


   ご存知の方は少ないかと思いますが、LOGのファイル名は「w」と西暦の大抵、下二桁と年月日をつなげたものです。余談ですけどなぜ、頭に「w」がつくかというと、当初、LOGを「weblog」としていたからです……開設一ヶ月ぐらいは(>>参照)。例えば、今回、更新した「孫氏からみた三国志」だとw051026.htmlです。このファイル名の付け方は書いている身からするとだいたいいつ書いた文なのかわかって便利です。それで今回は傅燮が出て来るんですけど、そのページで傅燮の参照リンク先のファイル名はw031026.htmlです。つまりちょうど2年前のファイルです。2年前の方は「孫氏からみた三国志」で傅燮が初登場するところです。2年も書いているのに感慨深いというか衝撃を受けました。なんせ、書く対象も2年しか進んでないからです(汗)。あ、184年→186年です。というわけで、今回の更新をお楽しみあれー。
>>南容着任&南陽決戦            

   今、馬騰がいつ反乱したか迷い中。明らかに三国志蜀書馬超伝の注に引く典略の記述があきらかに他の史書とことなるんですが(汗)

10/6   古い話だけど2

「石山」字焼き   そういえば8月17日だったと思うけど、滋賀県は建部大社のお祭りに行って来た。水路で下流から御輿を船で運ぶんだけど(船上から花火をとばしたり、拡声器でなにやら民謡みたいなのを歌ったり派手!)、ふと石山寺の方の岸をみると、右の写真のような篝火がたかれていた。神社に寺院が呼応。日本は寛容だと思った。

   さて更新の方。とりあえず新しい会報、KxR4の紹介ページ。まぁ、基本。今回、清岡は趣味に走りまくって、「傅燮ファン入門」。8ページ中4ページ程度は既存のコンテンツ。本の紹介やら、南容さんの人間関係やらプロフィールやらとにかく締め切り追われつつ、いろんな話を詰め込んだ。
>>KxR4の紹介ページ            


   それからもう一つ。いい加減「孫氏からみた三国志」をすすめようとおもってこれから先どうなるかと後漢書本紀を眺めていた。中平三年(西暦186年)冬〜中平四年夏あたりが王国・韓遂の進軍、中平四年六月ぐらいからが張純の乱、ようやっと中平四年の冬に孫堅が長沙太守に、って流れ。王国・韓遂の進軍のあたりが傅燮中心に話が進んでいき、張純の乱では劉備の初陣(だったっけ…?)&公孫さんの活躍の話を入れ込む(……って全然、孫堅が絡んでない・汗)。それで公孫さんのあたりをながめていると、彼、王国・韓遂の進軍の前の涼州からの進軍とからむエピソードがあるじゃないか! 烏桓の三千突騎を率いている話。というわけで過去のページにそのことを少し入れ込む。
>>ちょっと加筆