メモ2:三国志学会 第二十回大会(2025年9月7日)

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 2025年9月7日日曜日15時が近づき、東京都新宿区西早稲田1-6-1 早稲田大学 27号館 地下2階 小野記念講堂での三国志学会 第二十回大会休憩明けでシンポジウムが始まりつつある。15時5分スタート。

・三国志学会
http://sangokushi.gakkaisv.org/

・三国志学会大会
http://sangokushi.gakkaisv.org/taikai.html

※告知記事 三国志学会 第二十回大会 三国志大文化祭2025(東京2025年9月7日日曜日)

※前回レポート記事
 メモ1:三国志学会 第十九回大会(2024年9月8日)
 メモ2:三国志学会 第十九回大会(2024年9月8日)




◯シンポジウム(15:00~18:00)早稲田大学漢学研究所(共催)
 「国際関係から見た邪馬台国」

・報告者
 卑弥呼と纏向王権─私の邪馬台国論 寺澤薫(桜井市纏向学研究センター所長)

 レジュメはA4用紙4枚両面カラー印刷で用紙を四分割し、つまりはスライドをハンドアウトしたやつ、計32枚のスライド。15時15分で92人。15時19分、今のところ下記関連記事の発表者が著者である『卑弥呼とヤマト王権』の要約みたくなっている。そのため、レジュメに対応するページ数や小見出しを書き込んでいた。ちょうど会場にいる方は読んでない方ばかりだろうから、自然な流れなのかな。

※関連記事 卑弥呼とヤマト王権(2023年3月10日発行)

 本のコアの部分に「2-2「倭国乱」からの脱却=倭国新生への道」ってのがあって、当時の先進地域、先進国がいくつもあった北九州じゃなくて、後進地域から倭国の女王が選ばれたのは、政治的談合があって、間をとったって形とのことで。なので卑弥呼はその後進の邪馬台国の女王という表現はなく、あくまでも連合国としての倭国の女王だと、政治的中枢が北九州からヤマト地域に移ったと。そこらへんの会同、会盟が明治維新に喩えられていた。
 それから纏向型古墳→前方後円墳の流れを実際の古墳や分布で説明。纏向遺跡の大王宮発掘の話。
 15時28分、中継98人、16時22分、中継94人。

16時47分
 ローマ帝国の異民族統治の立場から  井上文則(早稲田大学教授)

 特にレジュメは無かったので、PCでメモを入れていった。16時48分87人。
 軍人皇帝時代。ローマがどういうふうに異民族に接してきたか。
  ライン川、ドナウ川、ゲルマン系
  ユーフラテス川方面。アルサケス朝パルティア、ササン朝ペルシア
 今回はゲルマン民族について。 タキトゥス『ゲルマーニア』。魏志倭人伝と同じく不可欠な文献。
 金髪碧眼の大きな人たち(ローマ人は背が低くて黒髪)
 ゲルマン語。都市はない、住居の密接に耐えれない。(ローマの感覚では)
※コメント 中国からみて纏向は都市ではないのでは?
※コメント 纏向は中国からみると奥地によっているのでは?
 火葬。考古学的には土葬も火葬もある。女には神聖で予言者的なものが内在。奥には女王国もあり。
ローマのゲルマン民族統治 征服はあきらめている。
直接 百人隊長による監督 間接 親ローマ貴族、王は金銭で支援
日本との比較
 ・類似点 3世紀に部族の統合・強大化 フランク、ゴート、アラマンニ ユーラシア規模の変動
 ・相違点 ローマの脅威は直接的 日本の位置は絶妙
ゲルマン人には部族国家を超えた枠組みが欠如
 17時7分、中継88人

17時7分
・コメンテーター
 漢帝国の異民族統治の立場から 渡邉義浩(早稲田大学教授)
  配布資料はコチラからダウンロードできます。

 レジュメはA4用紙4枚両面印刷なので8ページ。寺澤薫先生とは6,7年前のフォーラムで会ってそこで意見交換したと。というかフォーラムの他の先生の話のときに指導していただいたとのこと。
 レジュメp.1「はじめに」、p.1「一、異民族の王を擁立」班超の行動を見る。(前漢は直接支配で、後漢は封建、コスパが良い)。p.2 疏勒王の忠が背くと、班超が別の者を王に即位させ、忠を攻撃したと。 p.2「 班超は、軍司馬、そして将兵長史として(西域都護となるのはこの後)」、疏勒王の擁立に努力したが、後漢は、こうした役割を刺史や郡守などの地域長官に期待した。」
 p.3「ニ、言葉の習得」p.3「後漢の州郡が異民族と関わるためには、言語の壁を超えなければならない」明帝期の益州刺史の朱輔の場合。p.4漢の徳と威信により異民族を懐かせた。田恭は異民族と慣れ浸しんで、その言語に通じたので、朱輔が百国余りをたずねさせ、その言語を訳させたと。『東観漢記』にその異民族(白狼王)らが作った異民族の歌が載っていて、レジュメでは上杉本によるルビが打たれている。内容は漢の恩徳を歌う。注目すべきは通訳の正しいと歌われる。p.5言葉が通じれば石も通じることになり、「共立」することも可能ってことで、今回のシンポジウムのテーマの倭国の共立に話がうつる。「共立」に用いられる言語は漢字でそれを操る帰化人の背後には帯方郡があったと(つまりは役人を送り込んで言葉を習得させる)。p.6「異民族に隣接する後漢の州郡は、異民族の言葉を習得した属吏を抱え、それを通じて恩徳を示し」とのことで帯方郡までの卑弥呼の朝貢は「後漢の異民族支配に則ったもの」であったと。
 p.6「三、共立への関与」ここでは夫余国に論が移る。元々玄菟郡に属していたところで、麻余が共立されるところに着目。p.7「玄菟郡は夫余王の埋葬、すなわち次王の即位に関与することができた。このような形を取りながら、後漢は周辺異民族の王位継承に干渉していたと考えられる。」とし、それをふまえて次の段落で卑弥呼のこと、寺澤先生の論に向けてp.6「共立が平和的な談合によるのであれば、諸国間の言語の統一性の問題から考えても、中国の介入を想定すべきであろう」と。

 質疑応答の時間。中国風でないものは? 日本の場合、城壁がないので都市ではない。日本にとってマルクス「王のいるところがアジアの都市」がよくはてはまる。纏向はオープンな集落。都市的ではない。藤原京は中国的になる。
 ヤマトは(外国から見て)奥に寄り過ぎでは? 政治権力のない所が第一条件だったのでは?と考えている。纏向は地理的な要所、交通の要素、前線基地の重要性(東に行くのに)がある。
 この後、小島毅先生に話が振られるのだけど、清岡がよく聴けなかったので割愛。
 石井仁先生、都市以外の集落が出現する、塢とか壁とか。卑弥呼はそういうのを意識している。公孫瓚、都市を棄て易京に移る。

※関連記事 赤壁地名考―孫呉政権と江南の在地勢力(2011年11月3日)

 17時49分、中継85人。アナウンスで会費が三千円に値上げと。

◯閉会挨拶(18:00~18:10)
 渡邉義浩(三国志学会副会長)

 結局18時前には終わってた。

 世界的なアレというか、すっかり懇親会が存在しないのが当り前になったので、会場を後にする。

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