メモ1:三国志学会 第二十回大会(2025年9月7日)

※前の記事 易経でわかる諸葛孔明 乱世を生き抜く智慧(2025年12月21日)

 2025年9月7日日曜日13時が近づき、東京都新宿区西早稲田1-6-1 早稲田大学 27号館 地下2階 小野記念講堂に人が戻ってきていた。13時から三国志学会 第二十回大会が開催される。

・三国志学会
http://sangokushi.gakkaisv.org/

・三国志学会大会
http://sangokushi.gakkaisv.org/taikai.html

※告知記事 三国志学会 第二十回大会 三国志大文化祭2025(東京2025年9月7日日曜日)

※前回レポート記事
 メモ1:三国志学会 第十九回大会(2024年9月8日)
 メモ2:三国志学会 第十九回大会(2024年9月8日)





◯開会挨拶(13:00~13:10)
 石井仁(三国志学会会長)

 13時8分で中継82人。挨拶は第1回の様子を振り返る、当時の社会状況を振り返るって流れ。

◯報告(13:10~14:30)
 齊藤優(早稲田大学大学院)
 「「真実」を描く虚構―滝沢馬琴による諸葛亮像の再構築―」
  配布資料はコチラからダウンロードできます。

 司会は佐藤大朗さん。13時13分、開始。ノートPCのバッテリーが44%で、まだ先があるんで、レジュメの書き込みメモに変更。大学院生な発表の印象、原稿を読み込む発表、というか読み聞かせ発表。それで3ページ目の参考文献に当たろうとしたら、気付いた、2枚目以降、手元にないことに。意を決してご発表中、取りに行ったら、片付けられていた。そういやレジュメのデータはダウンロードして持ってたことを思い出したけど、ノートPCのバッテリ42%。
 あとで無事レジュメを得ることができた。読み聞かせ発表なので、今、そのレジュメを見ながら概要を書く。横書きB4用紙4枚両面印刷16ページによるもので1ページ目に目次が有って、大きくp.2「第1章 日本の諸葛亮像における滝沢馬琴の異端生」と「第2章 『南総里見八犬伝』における史実の暴露」にわかれる。
 その第1章のp.2「1. 『太平記』への引用」では『太平記』にちょいちょい出てくる『三国志』の引用部分から従来の日本での孔明観を示す。p.3「2. 『通俗三国志』の普及」で、『通俗三国志』に見られる孔明観、p.4「3.「悲運の忠臣」」明治時代の土井晩翠などの忠臣イメージについて、って孔明観の時代変遷。
 p.5第2章で本題の『南総里見八犬伝』中の孔明像について触れる。下記のプレビューでも書いたけど、てっきり馬琴の『傾城水滸伝』などの女体化シリーズのことについて触れるのかと思ったけど、全然触れられなかった、『南総里見八犬伝』一本感。

※関連記事 プレビュー雑談 三国志大文化祭 三国志学会大会(YouTube2025年8月30日土曜日15時-)

 p.5「1. 諸葛亮の兵法」。『三国志演義』赤壁の戦いの中の諸葛亮の描写がどういうふうに『南総里見八犬伝』で引かれるかと。13時34分『南総里見八犬伝』中の関東大決戦が赤壁の戦いの引き回し。p.8「2. 「悲運の忠臣」としての諸葛亮」、『南総里見八犬伝』中の劉備・諸葛亮評。13時37分、中継95人。

 司会の佐藤大朗さんの話の方がわかりやすく感じる。質疑応答がないので佐藤大朗さんさんから質問、タイトルについて。かわって竹内真彦先生より、中国的なことが日本でどう語られるか。馬琴の特異性を明示できたら、もっと良かったかな、と。13時50分、中継97人。

 仙石知子(二松学舎大学准教授)
 「「列女」から「演義」の女たちへ─皇甫謐『列女伝』の女性とその物語化─」
  配布資料はコチラからダウンロードできます。

 司会は竹内真彦先生。縦書きA3用紙7枚中綴じ両面印刷21ページによるもの。それよりやはり発表の慣れ方が先程と差を感じてしまうが(※一素人の感想。昔あった社内プレゼンの経験を当てはめてマウンティングとっていらした事例ではなくてね)、研究歴からいって当然といえば当然なのだろうけど。
 p.1「一 はじめに」(※レジュメは旧字表記なのだけどここでは簡略に記述) 前漢・劉向『列女伝』(古列女伝)がはじめでその後同名のがいくつかあるようで、それらの中の一人、表題の皇甫謐は三国時代から西晋の人物とのこと。玄晏先生と号す。礼楽や聖人について著述してたと。
 p.1「ニ 「古列女伝」の継承」「(一)皇甫謐『列女伝』の「古列女伝」からの引用の仕方」でp.2 皇甫謐『列女伝』は早くに散逸し、『三国志』注や『太平御覧』などに残ると。熊明「皇甫謐考」(『文献』2001年第4期)だと32話が残ると。p.2「(ニ)仇討ちの物語~龐娥親の事例」にて、「皇甫謐『列女伝』は、このような「古列女伝」の話を継承する一方で、新たな女性の物語を記す」ものの中で、龐娥親という女性の仇討ち物語を論題に出す。p.3以降が龐娥親について『後漢書』の列伝と皇甫謐『列女伝』との比較に移る。皇甫謐『列女伝』の方が成立が古いのに注意。その殺害の場面も、皇甫謐『列女伝』は「きわめて臨場感溢れる描写」と。p.4「(三)評価と教訓化~「玄晏先生」の視点から」では仇を討った後の比較。p.6「古列女伝」が「君子謂へらく」と『詩経』の引用で教訓化するのと同様、「玄晏先生以為へらく」(※玄晏先生=皇甫謐が出てくるのは現存するのはこの龐娥親のみ)と『詩経』の引用で教訓化。さらに皇甫謐『列女伝』の独自性として「女性自らが武力をもって仇を討つという展開は「古列女伝」には見られない要素」があると。
 p.6「三 時代に応じた価値観への対応」「(一)女性の戦乱関与と忠義の表現~姜敘の母の事例」にうつり、曹操の言葉に着目される。続けてp.9「(ニ)「色」を損なって貞節を守る女性~趙昴の妻、王異の事例」「(三)「忠」と「孝」の価値の優先順位~王異の思想と行動」で、p.11「王異が自らの容姿を損ねて貞節を守ろうとする場面は、「古列女伝」」にも先行例が存在するが、皇甫謐『列女伝』においては、同様の描写が複数確認できる点で、注目すべき特色をなしている。」とし、次のp.12「四 儒教的価値観の動揺」「(一)容姿を損なうことで節を示す女性~」で具体的なそれらの描写について検討される。p.12「髪を断ちて以て信と為す」とかp.12「鼻を削いで、再婚を拒否した」とか。その「(一)」の末にp.13「容姿への拘りを棄て、国家に尽くすことによって、「仁」「義」という儒教最高の徳目を実現し得るとする主張の背景には、いかなる社会状況が想定されるのであろうか。」とし、次へとつなげる。p.13「(ニ)儒教的価値観の崩壊と玄学の興隆~荀粲の思想背景」で儒教以外の価値観がひろがったが、それが女性観との関係を明確に示す荀粲に着目される。p.14「(三)女性の「色」への肯定と儒教女性観への反発~荀粲の実践」で、その荀粲の考えと儒教女性観の対比、荀粲は儒教女性観と違ってp.14「女性は「才智」を問題とすべきでなく、ただ「色」(容姿)だけを第一とすべきと言っていた」と。実践してp.14「「美色」の曹洪の娘を娶」ったと。でもそれはp.14「「傾国」という言葉と共に「古列女伝」の孼嬖伝が傾国するところであった」と。そこで女性観の変容を論じられる。p.15「(四)皇甫謐『列女伝』の思想的立場と再構築の意図」の冒頭「皇甫謐は、女性自らの「色」(容姿)を損なってまでも、儒教的な節義を貫こうとする行為を熱心に描いている。」と。
 p.15「五 おわりに」「(一)皇甫謐『列女伝』の思想的特質とその時代背景」p.16「(ニ)「列女伝」から「三国志演義」への展開」と接続される。『三国志演義』毛宗崗本の総評でも「列女伝」が引き合いに出されると。p.16「夏侯女の節義は、まさに漢の武侯(諸葛亮)が漢に殉じて尽くした節義と同じである」といったように。

 司会の竹内先生が女性研究からスタート、といって仙石先生の研究履歴紹介みたいなことをおっしゃってからの質問で蔡文姫がとう描かれるか?と。それの応答が曹操と絡めてしか出てこないので、版本に差異はないと。
 その次の質問が儒教について揺り戻しはあったか?→渡邉義浩先生の本を読んだ所そうだ、と。
 次の質問が范曄『後漢書』について。時代が下ると逸話が多いってのは違うのでは?(裴松之と范曄は同時代と)、何を参照すればいい?と逆質問きていた。

※関連記事 裴松之の史学観(早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第1分冊 第42輯 1997年2月28日)

◯休憩(14:30~15:00)

※次の記事 
http://cte.main.jp/newsch/article.php/7417