リンク:鍾山改名の由来について(藝文研究第85号 2003年12月)

 下記の慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)のサイトの下記ページに『藝文研究』第85号(2003年12月)のpp.66-79(pp.187-174)の吉永壮介「鍾山改名の由来について : 蒋子文と孫鍾の伝説をめぐって」が公開されている。

・慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA) - KeiO Associated Repository of Academic resources
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/

・鐘山改名の由来について : 蒋子文と孫鐘の伝説をめぐって
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00850001-0066
※PDFの方は大丈夫なのだけど、ウェブページの方は「鍾」を「鐘」と誤っている


 下記関連記事の論文・書評リンクシリーズの一環(のうちの吉永壮介氏のシリーズ)として目次で以下にまとめてみよう。

※関連記事 リンク:現代日本の「三国志」受容における二つのリアリティー(藝文研究第116号 2019年6月)

※新規関連記事 リンク:『三国志演義』の怒りの諸相(藝文研究第107号 2014年12月)

67 一、蒋子文の伝説について
68 二、孫鍾の伝説について
70 三、鍾山を蒋山に改名した由来の変遷について
70 (一) 晋から北宋までに見られる鍾山改名の由来
71 (二) 南宋以降に見られる鍾山改名の由来
74 四、結語
75 注
79 志怪小説・類書等に見える鍾山改名の由来に関する簡表(晋~明)

 注(27)に上げる宮岸雄介「裴松之の呉興亡論」(アジアの文化と思想の会『論叢アジアの文化と思想六』1997年)というのが気になった。「三、鍾山を蒋山に改名した由来の変遷について」のように史書・文献を時系列ごとに追ってどう変化していったかという、丁寧な分析は興味深いな、と思った。「四、結語」などにそれが生じたバックグラウンドを見たりと。
 個人的には、下記ウェブページのように鍾山改名については触れないものの、URLから見るに2002年9月に孫鍾設瓜のことを清岡は書いているのだけど、当時身近にあった文献でとってつけたように書いたもんだから余計にね

・瓜売り、その名は鍾(孫氏からみた三国志1)
http://cte.main.jp/sunshi/w/w020929.html

※関連記事 映画 真・三國無双を見に行く小旅行(2021年10月23日)

※新規関連記事 裴松之の史学観(早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第1分冊 第42輯 1997年2月28日)
http://cte.main.jp/newsch/article.php/6398