『魏志倭人伝』は3世紀の日本列島に邪馬台国という強国があり、女王が治めていたことを伝えています。女王の名は卑弥呼。わずか2000字ほどにすぎない倭人伝は倭人と倭国を克明に描いていますが、なぜか邪馬台国がどこにあったのかはっきりしません。古代史最大の謎です。文献史学によって大和地方か北部九州地方に絞られたものの、手詰まり状態です。そのような中、なぞ解きに大いに貢献しているのが考古学といってよいでしょう。この講座では、現在考古学では邪馬台国をめぐる問題に関してどのように考えられているのか紹介し、私の考えを述べることにします。
1) 奴国衰退の理由はなにか?
2) 銅鐸はなぜ消えたのか?
3) 倭人伝の「黥面文身」は本当か?
4) 倭国乱の意義とはなにか?
5) 卑弥呼共立の意義とは?
6) 纏向遺跡出土木製仮面の役割は?
7) 卑弥呼が手に入れた銅鏡100枚とは?
8) 卑弥呼の墓はどこか?
9) 邪馬台国はどこか?
10) 狗奴国はどこか?
画像は「纏向遺跡出土の木製仮面」