世界史のIVが「中国人と中国の周辺に居住する諸民族」に関する長文の穴埋め問題で、日本史でなく珍しく世界史で邪馬台国が出てくる。以下に該当部分を引用。
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続いて倭は107年にも来朝したが,その次に日本のことが中国の史書に現われるのが,邪馬台国とその女王卑弥呼である。時に中国の北方には魏が成立していたが,魏と日本列島の間には,公孫氏が自立してその接触を妨げていた。魏は西南の蜀とも敵対関係にあり,五丈原で蜀軍と対峙していたが,蜀軍の名将諸葛孔明が病死すると,対蜀戦の精鋭部隊を五丈原から引きあげて,公孫氏政権の討伐に振り向けた。この結果238年に公孫氏は滅びた。卑弥呼の支社が洛陽にいたるのは実にこの翌年であり,このことは,邪馬台国がいかにちゅうごくの情勢に敏感であったかよく物語っている。『三国志』魏書・東夷伝の倭人の条に,卑弥呼がこの時「( H )」の称号を賜ったことが記載されている。
さて,邪馬台国による使者の派遣の後およそ百年あまり,倭に関する記載は中国の歴史書から姿を消してしまう。日本古代史でいうところの「謎の4世紀」「空白の4世紀
である。
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なぜ諸葛亮は姓字表記というツッコミはともかく(それに名前を出す必要性はなさそう)、親魏倭王が正解なんだろう。
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