アナザーストーリーズ選 兵馬俑は見ていた!(NHK BSプレミアム2017年8月29日)

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 2017年8月29日火曜日21時から1時間枠でNHK BSプレミアムで『アナザーストーリーズ選』「兵馬俑は見ていた!~巨大遺跡に翻弄された人々~」が放送された。番組自体、三国に関係ないものの、番組で取り上げた兵馬俑の発見が後述するように日本の三国受容、特に三国志マンガに影響を与えているので。

・アナザーストーリーズ 運命の分岐点 - NHK
http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/

・アナザーストーリーズ選「兵馬俑は見ていた!~巨大遺跡に翻弄された人々~」
http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/x/2017-08-29/10/15659/1453060/

 無理からに三国とつなげるとすると、なぜか始皇帝の説明のところで、BGMが『レッドクリフ』のものだったってことだろうか。

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 番組名に「選」とあるのはすでに放送済だからで、それは『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』第58回「兵馬俑は見ていた!~巨大遺跡に翻弄された人々~」として2017年6月6日火曜日に放送されたそうな。
 番組自体、サブタイトルどおり、兵馬俑の発見に関することで、発見自体は1974年に農民によりなされたが、公表されず、翌年の7月12日に中国共産党機関紙『人民日報』でようやっと発表。番組では、兵馬俑は、当時文化大革命の最中であったため破棄される危機にあったが始皇帝のものであることが明らかになって保護されたと。それは始皇帝が焚書坑儒に代表されるように古い時代を否定し新しいものを創造したとして当時の権力者の毛沢東が賞賛していたからだ、と。
 しかしその兵馬俑の画像は公開されなかったそうで。ちなみに『広告批評』(215)のpp.130-135草森紳一「中国文化大革命の大宣伝 第96回」によると(p133写真のキャプション)「他の発掘記事に紛れこますようにして兵馬俑の写真が掲載されている。」と。

※関連記事 【対談】尽きぬ『三国志』の魅力(潮1998年1月号)

 上記関連記事で触れた潮出版社の『潮』1998年1月号のpp.268-275「【対談】尽きぬ『三国志』の魅力」での立間祥介先生によると「それと、連環画が書かれたころ、兵馬俑はまだ出ていないんですね。一九七九年に初めて兵馬俑が公開されて、「秦の兵隊はこんな鎧を着ていたのか」とわかった。それまでは、わからなかったんですよ。」とのことで、前々からこの情報の裏を取りたかった。というのも学研で1979年6月から単行本が発売された久保田千太郎/作・園田光慶/画『三国志』の劉備の鎧や、1982年10月2日からNHKで放送開始した「人形劇三国志」の劉備、関羽、張飛の鎧、その人物デザインの影響下にある学習マンガなどの中継点がどの時点なのか気になっていた。

※関連記事
 久保田千太郎/作・園田光慶/画 三国志(1979年6月-1984年12月)
 中国の歴史3 三国志の英雄たち(集英社1987年8月25日発行)
 学習漫画 世界の歴史 5 長安の都とシルク・ロード(集英社1986年6月)
 三國志ガイドブック(1988年10月31日発行)

 どの時点か探るために国会図書館で、前述の『広告批評』に当たったりとあれこれ探したものの、答えが見つけきれずにいた。
 そんな時のこの番組、あっさり疑問が解ける。写真が公開されたのは番組によると、1978年4月の『NATIONAL GEOGRAPHIC』だと。それはカナダでの中国大使館ルートでの横流しだそうで。番組によると1979年10月1日に兵馬俑博物館がオープンしたそうなので、園田先生はそれ以前の資料を参照にしたのだろうね。ちなみに1984年4月29日にレーガン大統領が訪れたそうな。

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