12月24日は陳羣の忌日

※関連記事 三国志ジョーカー 第4巻(2012年8月16日)

上記関連記事にある、『三国志ジョーカー』4巻の感想を書いているときに手元の電子テキストで「陳羣」と検索をかけているときに気付いたこと。

・『三国志』巻三魏書明帝紀
(青龍四年)十二月癸巳、司空陳羣薨。

<清岡による訳>
(青龍四年、紀元236年)十二月癸巳(二十四日)に、司空の陳羣は薨去した。

というわけで、12月24日は陳羣の忌日だ。ちなみに、ご存知の通り、陳羣は『三国志』巻二十二魏書陳羣伝に立伝されており、そこでは「青龍四年薨、諡曰靖侯。」と没年が記されるのみだ。


※関連記事 12月24日は呂布、陳宮、高順の忌日

上記関連記事にあるように、まさかその一年後に同じ『三国志ジョーカー』絡みで忌日記事を書くとは思いも寄らなかった。そして暦の上では、実は陳羣の忌日は呂布、陳宮、高順のと同じということも。

※関連記事 三国統一(280年3月15日)

あと余談ながら、上記の日付はもちろん太陰暦(旧暦)であり、上記関連記事でも触れたように関帝誕や他のサイトでは、太陽暦(新暦)に変換してから用いている。しかし上記の関連記事でも書いたように、こういった太陰暦の当時の日付を太陽暦の現在の日付に変換する場合、二通りの方法がある。当時の季節感を尊重するならば、当年で太陽暦に変換し、その毎年変わらない日付を使用した方が合理的のように思える。しかし、個人的には考察や創作で使用する訳でもないので、季節感を含め数字以上の意味はないと捉えており、またわざわざ太陰暦から太陽暦に変換することで毎年日付が変わるか別の日付ができ(変換しないのを合わせれば合計三つの日付)、紛らわしいので、何も変換せずそのまま使用している。もちろんそれだと閏月はそのままになってしまうのだが。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/2620