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▼清岡美津夫さん:
詳細かつご丁寧なアドバイスありがとうございます。
自分の無知を改めて痛感しつつ、拝見させていただきました。
私の言葉足らずで理解に苦しまれたかと存じますが、最初の書き込みでの趣旨は、「陣営の様子について、視覚的に詳細に知りたい」ということでした。
詳細の度合いは、漫画の背景に使える程度のものです。
漫画に使えるものであれば、その他の創作をする場合でもイメージがしやすいので。
> 「陣営」という語句はありますが、史書上では「陣」と「営」とそれぞれ単体では意味が違ってくると思います。
> 『CD-ROM版 字通』によると「陣」は『説文』で「列なり」、『玉篇』で「師旅なり」となっており、戦うときに兵卒が形作る隊列の意味合いが強く、それに対し、『CD-ROM版 字通』によると、「営」(營)は『説文解字』で「市居なり」となっており、兵卒が駐屯する場の意味合いが強くなっていると思います。
>(余談ですが、その意味では『三国志』魏書呂布伝の注に引く『英雄記』にある高順の異名「陷陳營」は陣(陳)と營との両方を陷する意味なのかな、と思いました)
史書上の「陣」と「営」が、それぞれ単体では意味が違っているとは初めて知りました。
私が知りたいのは、ご指摘の通り「営」の様子についてですが、それについて書かれた書籍は見つからないし、かといって漫画や映像で描かれたものを、そのまま鵜呑みにして「営」の様子として捉えていいものか疑問ですし。
> 多くの漫画では何を参考にしているか、知らないのですが、ツリー[#T1443]や赤兎馬Presents「三国志の宴3」第1部レポから推測すると、後世のものが混じっている中国の連環画を参考にしているのかな、と思いました。…と書きつつ、肝心の連環画には目を通してないのですが。すみません。
赤兎馬Presents「三国志の宴3」第1部レポの記事を拝見させていただきました。
長野氏が連環画を参考にして描かれておられるのは氏の画集『三国志英傑イラスト集』(世界文化社/ビジュアル三国志の表紙の画集です)のコメントを読んで存じておりましたが、氏に限らず連環画を参考にされる絵師は他にもいらっしゃるんでしょうね。
連環画については殆ど知りませんが、演義の成立よりも後なので明か清代に成立したものと考えていいのでしょうか。
連環画に陣営の様子が背景に描かれていれば、その当時(明清代?)の陣営の様子としては参考になるかもしれません。
機会があれば目を通してみたいと思います。
> 私が軍営の画像的資料として思い付くのは、林 巳奈夫/編『漢代の文物』の押圖82ページにある「5-22 幕を張った宿營 魏晋 墓室壁畫 嘉峪関」のスケッチとそれに対応する本文です。表題通り、この壁画のスケッチは、魏晋期のもので、軍営の様子が描かれており、幕(テント)が並ぶ様や、軍旗、戟、盾が並ぶ様が描かれています。ただ、お求めになられている門や柵は描かれていないですね。
『漢代の文物』ですね!ありがとうございます!
私が知りたいことは、まさに上記のようなことです。
門や柵が描かれていないのが、ちょっと残念ですが、それでも幕が並ぶ様などが図で描かれている資料が存在するのは、私にとって僥倖ですね。
幕がどんな形をしているかが知りたかったというのも、質問させていただいた理由の一つなので。
> あとは『三国志』およびその注で「營」をキーワードに読んでいってイメージを固める手があります。例えば、『三国志』魏書袁紹伝の注に引く『英雄記』にある界橋の戦いの記載では、戦闘の様子が詳細に書かれており、營がどういった役割なのかも推察しやすくなっています。營の牙門も記載されていますし。
袁紹伝ですね。参考になりました。
やはり、好きな人物に関する記述だけを読んでいると見えてこないのですね。
> あと余談ですが、厳密には営中のことではないですが、『中国社会風俗史』[#3474]には、鎧を着ている場合、拝せず粛すことが載っていますね。
>http://cte.main.jp/newsch/article.php/736
『中国社会風俗史』の「敬礼」の項ですね。
これは営中の作法の一つとして捉えてよいのでしょうか。
古い時代の事柄ゆえ万事解決というのは、なかなか難しいところですが、それでも疑問のいくつかは解決しましたので、質問してよかったと思います。
最後になりますが、無学な私のために懇切丁寧にありがとうございました。
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