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▼孫羽さん:
>多少の時代の前後を含んだとして
>沿岸部から外洋へ逃げ出す者、または捜索に出るものも含めると結構な数になるのではないでしょうか
>神山捜索みたいな感じで、です
>逃げ出すのは、もはや周辺に助けてくれそうな勢力も無く、運を天に任せて!って感じで
>そしてどうやって呉とつなげようかと考えてみたのが、港や水夫を雇い入れるなどで
>(´ー`;)きびし〜
>ま、どこの世界でも味方が居ないような人間は居るだろうから、行き着くかどうかは別として、海に身を任せたのはいただろうと
私が言ってるのは、この「熱帯地域を南に行ったら非友好的な蛮族 海を越えて行ったら友好的な国家があったから…」という言葉に危険な発想の萌芽を感じるということですよ。
南が「非友好的な蛮族」で、東が「友好的な国家」ということですが、いかにも日本人らしい海外諸国を知らない人の発想なんじゃないですかね。
西:敵
北:敵
南:非友好的な蛮族
東:友好的な国家
こうして並べてみると、呉と日本を結びつける親近感の理由が日本人のナショナリズムに由るものだと言ってるのも同然です...
孫羽さんがそうしたことを意図されて発言されているのではないとしても、呉と日本の歴史ばかりに意識が集中していて、呉と日本を結びつけようとするあまり、他の地域の歴史に「敵」「蛮族」のレッテルを貼ってないでしょうか?
「敵」「蛮族」はまだしも、「友好的な国家」と「非友好的な蛮族」と言ってしまっては、歴史認識が疑われてしまいますよ。
倭国よりも東越の方が先に国家形成をしているということも知らないんだとは思いますが(^^;。
南方の東越は楚の官僚制度の影響を受けて、倭国よりも先に国家を形成した南方の雄国です。
東越は前漢に滅ぼされましたから、そこの住民は徐州の広陵郡などに強制移住させられてしまい、『三国志』だけしか知らない人の眼中には「国家形成の未熟な遅れた蛮族」の如く見えるんでしょうけどね。
自分自身の認識の外にあることだからこそ、立場の異なる人間の気持ちを易々と傷つけてしまうのです。
・・・・・・もっとも東越国を馬鹿にされて傷つく人ってこの掲示板には私くらいしかいないかもしれないですけどね(爆)
それから以前に呉越はタイ語族だと書きましたが、オーストロ・タイ語族と呼んで今のタイ語とは区別した方がいいようです。
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