わかれ目   〇四
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「私は、左中郎将、皇甫義真どのの配下、護軍司馬の傅南容と申します。朱公偉どの、お会いできて光栄です」

   誰か前から来ると思うやいなや、そう話しかけられた。考え事をしながら廊下を歩いていたところへ不意にだ。

   よどみないよく通る声だったので、何を言ったかはっきりと聞くことができた。だけど、何事かつかめない。
   声の主の方をよく見る。はじめから目の前に居たのだけど、注意の外にあった。
   私より一回りか二回りは背が高い男。間近に居たので、少し顔を上げる。私の視線の先に、さわやかな表情があった。よく見ると、顔の造りに元々、威厳のあるもののようだ。

「もしや人違いでしょうか」
   男は丁寧に告げた。どうやら、私が考え込んで返事をしなかったことを敏感に感じ取ったらしい。「南容」と名乗ったが、どこかで聞いたことがある、確か…
「いや、私が右中郎将の朱公偉だ。皇甫中郎からきみのことは聞いている。よろしくな」
   目の前の男が義真の言っていた男だということを思い出した。見た目だけで人柄などわからないと知っているが、何となく義真が気に入ったのもわかるような気がする。

「えぇ、よろしくお願いします。朱公偉どのが我が軍で指揮をとるなんて心強く感じています。聞くところによると、朱公偉どのは南の大乱をお鎮めになったそうじゃないですか」
   男は私に好意を含む目をむけ、声に喜びを乗せ話していた。
   どうやら男は私のことをある程度は知っているようだ。男の好意に失礼がないよう、軽い笑顔で応じる。
「あのとき、私だけじゃなく七つの郡全部が大乱を鎮めたいと思っていた。その思いを導くことができて私は幸運だったよ」
   私は軽く謙遜した。だけど、その言葉に偽りはない。

   あのとき、私は初めて軍事活動に携わった。三年前だ。ここより南に四千里以上も離れたところだ。
   そのとき、私は一兵卒じゃなかった。討伐軍を束ねる、いわば総司令官だった。だけど、それまで戦場で矛や戟をふるったことがなかったせいか、実感がなかった。少し違うがそういう意味で今と似ているかもしれない。
   実感が伴わないまま、軍を進めるなんて私には自信がなかった。そのせいか、何事にも躊躇していた。そんなとき、詳しくいつかは覚えてないが、とにかく私は気持ちを切り替えていた。

   得意なことからやればいい。

   今から思えば、それが私にとって勝利へのわかれ目だった。私は軍備を整え進軍しながら、敵側によく使者を派遣した。脅したり裏切りをすすめたり。いってみれば、交渉術で敵を動揺させ、敵から勝利した。
   そのとき、たまたま私が勝利へのわかれ目に立ち会えたが、今度、立ち会うのは義真かもしれないし、この傅南容かもしれない。反乱がおさまれば別に私じゃなくてもいいんだ。

「……ですので、そのときの戦のように、我々も一丸となり、戦いましょう」
   南容は熱心に語っていたようだ。内容はききそびれたが、おそらく私への敬意を込めたものだったんだろう。
「そうだな……で、肝心の兵卒はどのくらい集まった?」
   義真が兵卒を集めるのに三河中をせわしく馬をとばしていることは聞いていた。かき集めるものなら天子の財や馬を使いましょうと進言するほどの男だから、より強くより多くの兵卒が集まるだろう。頼りになる。
「まだ六千です。徐々にですが確実に数は増えてます。私が責任を持って立派な軍にします。万全の体制で敵軍に当たりましょう」
   南容は胸を張った。その体格でそうされると、頼もしく感じてしまう。私は深く深くうなずく。義真によると、確か、義真が兵卒を集め、南容が訓練や編成で軍を整えるとのこと。えらく義真に信頼されたものだ。きっと南容も私がされたように義真の雰囲気に乗せられたんだろうな、と想像すると笑いがこみ上げてくる。
   しかし、彼も義真に魅せられた者の一人なのは間違いない。

「別部司馬の張子並どのには先ほど、お会いしましたが、佐軍司馬の孫文台どのはまだ来られていないようですが?」
   南容はさらに話をかえた。本当に南容はよく自軍のことを調べているようだ。こちらの軍の指揮官も把握しているなんて。
「孫文台は数々の任務の遂行中だ。その中には皇甫中郎ほどの兵卒の量ではないだろうが、募兵の任務も含まれている。心配せずともそのうち顔を合わす」
   私は笑顔と共に口を閉じた。南容も笑顔で応じる。
「えぇ、楽しみにしております」

   傅南容のさわやかな笑みを見ていると、今回、多くの心強い味方が居るのだな実感できる。
   不安と忙しさにまみれた先に戦いがあるんだろうが、何とか乗り越えられるような気がしてくる。
   あとは表向きは部下だが、旧友ともいうべき、孫文台を迎えるのみだ。