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【3400】Re:袁術
   - 2009/4/7(火) 17:52 -

引用なし
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    史料の少ない人なので,多くのことが判りにくい人だと思います。
 まず孝廉に察挙されて郎中になっているようですが,この頃,孝廉経由ということが逆に言うと名門の証なのかもしれません。この頃は公府辟召が主流ですから,孝廉に察挙される官僚は第一級の名家か,士大夫でも底辺のほう,つまり辟召の可能性がない連中の何れかになるかと思われます。「中央と地方を歴任した」という点は史料の読みの上で,意見のわかれるところかと思いますが,校尉,虎賁中郎將はともに高級官僚ですから,すでに出現しつつあった門閥貴族的な存在にとっては都合のよい地位であったろうと思います。
 『三國志』や『後漢書』に書かれた人たちのことを見ていると,あまり高い地位に見えないかもしれませんが,基本的に六百石というのが一つの分かれ目で,それ以上の官の場合,高級官僚と認識してよいかと思われます。後漢に於いて折衝校尉がどの程度であったかというのは不明ですが,校尉である以上,六百石以上であることに違いはないでしょう。
 ちなみに現存する版本では異同はないですが,『北堂書鈔』に引用されている『魏志』では長水校尉についていたこともあると記されているようです。長水の場合,五營校尉で,高級官僚ですから,妥当といえば妥当かと思われます。
 あと肝心な点ですが「世襲」はこの時代存在しませんし,一般に勘違いされている魏晋南北朝ですら「世襲」は存在しません。
 なお羽林郎の場合は,選任基準があり,金銭的な負担(馬などの購入費用は自分で負担するとか)という点ではクリアしていても,本籍から言ってそもそもこの地位につくことはありません。
 孝廉の場合は,三署郎,いわゆる光祿勳官屬の郎中であり,おそらく袁術の場合は甲科郎だと思われます。孝廉の場合,郎中のあと,光祿勳の選挙を受けて,県の令・長に遷るという決まりきったコースがあり,漢の制度上,これからはずれることはありません。
 こういう官僚制研究は最近,一部で人気があって、東北と関東と九州に一人ずついるようなので,論文とか拾い読みしてみるのもよいかもしれません。こういう研究やっている人の特徴ですが,難しいことばかり書いていますが。
 孝廉のシステムについては福井重雅の名著があります。
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【3395】袁術 ペテン師 2009/3/30(月) 0:19 教えて
┣ 【3397】Re:袁術 T 2009/3/30(月) 1:11
┗ 【3400】Re:袁術 2009/4/7(火) 17:52

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